1月1日、元日や枯菊残る庭のさき

 2016年元旦。あたらしい年にふさわしいように、子規歳時は終わりましたが、魯迅箴言365日と論語一日一章は続けることにします。
 今年は小説家たるべく精進をしたいと思います。諸先輩から励ましのメールや賀状をいただき心を新たにしているところです。
 子規は明治28年(1895年)に従軍記者として満州へわたり、その帰途に発病しています。そして、神戸で療養後、松山へ帰省し、松山中学の教師だった夏目漱石の下宿「愚陀仏庵」で五十日間、起居をともにしています。子規が亡くなったのが、明治35年(1902年)のことでした。日露戦争が終わったのは、明治38年(1905年)の9月ですから、子規が満州を訪れてからちょうど10年が経っていました。漱石は明治42年(1909年)9月から10月にかけて満州と朝鮮を旅行しています。それが、「満韓ところどころ」に収められています。また、漱石は明治41年9月号の「ホトトギス」に「正岡子規」を寄稿しています。この小品を読むと、正岡子規漱石の交友ぶりがよくわかります。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言174です。
 苛求君子,宽纵小人,自以为明察秋毫,而实则反助小人张目。
 Kēqiú jūnzǐ, kuānzòng xiǎo rén, zì yǐwéi míngcháqiūháo, ér shízé fǎn zhù xiǎo rén zhāng mù.
 「君子には辛く、小人に対しては甘くして、自分では秋毫の細かさをも明察したつもりでいるが、しかし、実は逆に小人がはびこるのを助けていることになる。」
 
 今日の論語一日一章は、論語14-29(論語巻第七 憲問第十四篇 29章)です。
 子曰、君子恥其言之過其行也、
 Zǐ yuē, jūnzǐ chǐ qí yán zhīguò qí xíng yě,
 (子曰,君子耻其言之过其行也,)
 「子曰わく、君子は其の言の其の行に過ぐるを恥ず。」
 (孔子が言われた、「君子は、自分の言葉が実践よりも以上となることを恥じとする。」と。)