また、今朝の憲法メールで金澤先生の憲法通信が400号を達成されたことを知りました。全国的にも、これほど丹念に憲法に関する新聞記事を紹介しているものはないと思います。傘寿を迎える先生の努力と熱意には頭が下がる思いです。
ぞう‐に【雑煮】ザフ‥
餅を野菜・鳥肉・魚肉などとともに仕立てた味噌汁または清汁(スマシジル)。新年の祝賀に食する。雑煮餅。季・新年 正月に雑煮を食べる白い箸のことを雑煮箸ともいいます。
夏目漱石は、明治41年(1908年)9月号の「ホトトギス」に「正岡子規」という人物評論を載せていますが、その冒頭から、「正岡の食い意地の張った話か。ハハハハ。……」と始めています。子規は鍋焼きうどんを友人と八杯たいらげ、九杯目に挑戦しようとして、饂飩屋が逃げて行った話など、その健啖ぶりのエピソードはたくさんあります。明治28年満州から帰り、35年に亡くなるまで、子規の八年にわたる闘病生活に堪えられたのは、まさに彼の強健な胃腸と歯にあったとさえいわれています。
回复故道的事是没有的,一定有迁移;维持现状的事也是没有的,一定有改变。有百利而无一害的事也是没有的,只可权大小。
Huífù gùdào de shì shì méiyǒu de, yīdìng yǒu qiānyí; wéichí xiànzhuàng de shì yěshì méiyǒu de, yīdìng yǒu gǎibiàn. Yǒu bǎi lì ér wú yī hài de shì yěshì méiyǒu de, zhǐ kě quán dàxiǎo.
「もとの道に戻ることはありえないし、いっていの移り変わりはあります。すなわち、現状維持はありえないので、いっていの改変はつきものです。百利あって一害もないということはないのであって、大なり小なりそういうことなだけなのだ。」
Wéi shēng mǔ wèi kǒngzǐ yuē, qiū hé wéi shì qī qī zhě xìng, wú nǎi wèi nìng hū, kǒngzǐ duì yuē, fēi gǎn wèi nìng yě, jí gù yě,
(微生畝が孔子に向かっていった、「丘さん、どうしてそんなにいそがしそうなんだね。口上手をつとめていることにはならないだろうか。」孔子は答えられた、「決して口上手をつとめているのではありません。独善的にかたくななのがいやなだけです。」と。)
ここで、微生畝は、微生は姓、名は畝。隠者のようである。佞は、口上手のことで、口先うまく人にとりいることをさしています。