1月8日、正月や橙投げる屋敷町

 1月8日、金曜日です。今朝から雪はやんでいたのですが、夜になりどんどんと降ってきました。9時半少し前に車で家を出て、新町の事務所へ着いたのは9時45分でした。それから、なんだかんだと仕事をして、9月と11月の出張の報告書をでかして事務所を出たのは7時半を過ぎていました。大粒の雪が音をたてるように落ちていました。アーケイドの蛍光灯の明かりに反射して銀色の輝いていました。夜半にかけて大雪の気配でした。和歌山県名張市赤目、岡山県西粟倉村、秋田県鹿角市の三カ所を視察見学した報告をどうにかまとめ、関係者に送信できたのでほっとしたところです。
 明治26年(1893年)の正月、正岡子規は東京都台東区の根岸に居を構えています。子規は明治35年(1902年)に亡くなるまで根岸を離れませんでしたが、この根岸の家は後に子規庵と呼ばれるようになりました。場所は上野公園の北東にあり、鶯が多かった所としても知られていたようです。
 子規が小さい頃の郷里松山では、正月の遊びとして、橙投げというのがあったと書いてあります。ここでの屋敷町とは旧松山藩の屋敷町のことです。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言181です。
 人类为向上,即发展起见,应该活动,活动而有若干失错;也不要紧。惟独半死半生的苟话,是全盘失错的。因为他挂了生活的招牌,其实却引人到死路上去!
 Rénlèi wèi xiàngshàng, jí fāzhǎn qǐjiàn, yīnggāi huódòng, huódòng ér yǒu ruògān shī cuò; yě bùyàojǐn. Wéidú bànsǐ bànshēng de gǒu huà, shì quánpán shī cuò de. Yīnwèi tā guàle shēnghuó de zhāopái, qíshí què yǐn rén dào sǐlù shàngqù!
 「人類は向上するために、すわわち発展するためには、活動せねばならないし、活動して若干の失錯があったところで、かまわないと思います。ただ、死んだのでも、生きたのでもない、間に合わせの生活だけは、これは完全な失錯です。なぜなら、彼は生活という看板をかけながら、実は人を死の路に案内するものだからです。」

 今日の論語一日一章は、論語14-36(論語巻第七 憲問第十四篇 36章)です。
 或曰、以徳報怨、何如、子曰、何以報徳、以直報怨、以徳報徳、
 Huò yuē, yǐdébàoyuàn, hérú, zǐ yuē, héyǐ bàodé, yǐ zhí bàoyuàn, yǐ dé bào dé,
 (或曰,以德報怨,何如,子曰,何以報徳,以直報怨,以德報德,)
 「或るひとの曰わく、徳を以て怨みに報いば、何如。子曰わく、何を以てか徳に報いん。直きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ。」
 (ある人が「恩徳で怨みのしかえしをするのは、いかがでしょう。」といった。孔子はいわれた、「では、恩徳のおかえしには何でするのですか。真っ直ぐな正しさで怨みにむくい、恩徳によって恩徳におかえしすることです。」と。)