1月9日、正月の人あつまりし落語かな

 1月9日、土曜日です。朝7時ですが、まだ外は明るくなっていません。正岡子規は学生時代、毎週土曜日には寄席に通っていたようです。熱心に落語を聞いていたようで、落語家の巧拙によって番付をつけたり、落語を哲学的に論じていたようです。夏目漱石と親しくなったのもこの寄席通いが機縁だったようです。
 わたしも学生時代や就職した当座は、よく上京した折には、浅草や上野、そして新宿の寄席に行って、落語を聞いたものでした。とくに贔屓はなく、いきあたりばったりで寄席に入って聞いていたものです。田舎ものですから、我慢して笑わないで聞いていたのを憶えています。
 今朝の青森駅前のアウガの記事が載った新聞をみて、予想されたこととはいえ、今後のことを考えると、市政にとっては重要課題であり、対応で忙しくなることが想定されますが、当然のことと受け止めて、平静沈着にことをすすめるべきだと思いました。


 今日の魯迅箴言365日は、箴言182です。
 不满是向上的车轮,能够载着不自满的人类,向人道前进。多有不自满的人的种族,永远前进,永远有希望。多有只知责人不知反省的人的种族,祸哉祸哉!
  Bùmǎn shì xiàngshàng de jū lún, nénggòu zàizhe bù zìmǎn de rénlèi, xiàng réndào qiánjìn. Duō yǒu bù zìmǎn de rén de zhǒngzú, yǒngyuǎn qiánjìn, yǒngyuǎn yǒu xīwàng. Duō yǒu zhǐ zhī zé rén bùzhī fǎnxǐng de rén de zhǒngzú, huò zāi huò zāi!
 「不満は、向上の車輪である。自己に満ち足りぬ人類を載せ、人の道に向かって前進できる。自己に満ち足りぬ人の多い種族は、永遠に前進し続け、永遠に希望がある。ああ、禍(こまった)ものだ、禍ものだ!」
 
 今日の論語一日一章は、論語14-37(論語第七 憲問第十四篇 37章)です。
 子曰、莫我知也夫、子貢曰、何爲其莫知子也、子曰、不怨天、不尤人、下學而上達、知我者其天乎、
 Zǐ yuē, mò wǒ zhīyě fū, zi gòng yuē, hé wéi qí mò zhīzi yě, zǐ yuē, bù yuàn tiān, bù yóu rén, xià xué ér shàngdá, zhī wǒ zhě qí tiān hū,
 (子曰,莫我知也夫,子贡曰,何为其莫知子也,子曰,不怨天,不尤人,下学而上达,知我者其天乎,)
 「子曰わく、我れを知ること莫きかな。子貢が曰わく、何為れぞ其れ子を知ること莫からん。子曰わく、天を怨みず、人を尤めず、下学して上達す。我れを知る者は其れ天か。」
 (孔子が、「わたくしを分かってくれるものがないねえ。」といわれたので、子貢はいぶかって、「どうしてまた先生のことを分かるものがないのですか。」といった。孔子はいわれた、「天を怨みもせず、人をとがめもせず、ただ自分の修養につとめて、身近かなことを学んで高遠なことに通じていく。わたくしのことを分かってくれるものは、まあ天だね。」と。)