1月16日、うそのような十六日桜咲きにけり

 1月16日、土曜日です。正岡子規の父、隼太は、明治5年、子規が6歳の年の40歳で病死しています。毎日、1升飲むほどの大酒飲みだったようです。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言189です。
 中国人不但”不为戎首”,”不为祸始”,甚至于”不为福先”。所以凡事不容易有改革;前駆和闯将,大抵是谁也怕得做。
 Zhōngguó rén bùdàn” bù wéi róng shǒu”,” bù wéi huò shǐ”, shènzhì yú” bù wéi fú xiān”. Suǒyǐ fánshì bù róngyì yǒu gǎigé; qiánqū hé chuǎngjiàng, dàdǐ shì shuí yě pà dé zuò.
 「中国人は争乱の首謀者とはならず」、「禍の元凶とならず」であるのみか、「幸福の先達ともならず」という始末だ。だから、あらゆることがなかなか改革されない。先駆者と突進将軍には、大抵誰も懼れて成り手がない。」

 今日の論語一日一章は、論語14-44(論語巻第七 憲問第十四篇 44章)です。
 子路問君子、子曰、脩己以敬、曰如斯而己乎、曰脩己以安人、曰如斯而己乎、曰脩己以安百姓、脩己以安百姓、尭舜其猶病諸、
 Zilù wèn jūnzǐ, zǐ yuē, xiū jǐ yǐ jìng, yuē rú  sī ér jǐ hū, yuē xiū jǐ yǐ ān rén, yuē rú sī ér jǐ hū, yuē xiū jǐ yǐ ān bǎixìng, xiū jǐ yǐ ān bǎixìng, yáo shùn qí yóu bìng zhū,
 (子路问君子,子曰,脩己以敬,曰如斯而己乎,曰脩己以安人,曰如斯而己乎,曰脩己以安百姓,脩己以安百姓,尧舜其犹病诸,)
 「子路、君子を問う。子曰わく、己れを脩めて以て敬す。曰わく、斯くの如きのみか。曰わく、己れを脩めて以て人を安んず。曰わく、己を脩めて以て百姓を安んず。己れを脩めて以て百姓を安んずるは、尭・舜も其れ猶お諸れを病めり。」
 (子路が君子のことをおたずねした。孔子はいわれた、「自分を修養してつつしみ深くすることだ。」「そんなことだけでしょうか。」「自分を修養して人を安らかにすることだ。」「そんなことだけでしょうか。」「自分を修養して万民を安らかにすることだ。自分を修養して万民を安らかにするということは、聖天子の尭や舜でさえも苦労された。」と。)