1月19日、冬籠あるじ寐ながら人に逢ふ

 1月19日、火曜日です。旧暦では12月10日です。18日が土用、21日が大寒です。暦の上ではあと2日で寒さも峠を越しますが、果たして今年はどうなるのでしょう。
 表題の句の季語は冬籠です。
 ふゆ‐ごもり【冬籠り】
<>ふゆごもること。冬の間、人や動物などが寒さを避け、家や巣の中にこもって過すこと。?/span>季・冬?/span>。古今冬「雪ふれば―せる草も木も」
<>「春」「張る」にかかる。万一「―春さりくれば鳴かざりし鳥も来鳴きぬ」
 24歳の島崎藤村がはじめて子規の根岸の家を訪れたとき、当時29歳の子規は病床にあり、寝たままで会ったのですが、藤村は腹を立てて帰ってしまったというときの句です。(明治29年、1896年1月19日)

 今日の魯迅箴言365日は、箴言192です。
 凡有一人的主张,得了赞和,是促其前进的,得了反对,是促其奋斗的,独有叫喊于生人并无反应,既非赞同,也无反对,如置身毫无边际的荒原,无可措手的了,这是怎样的悲哀呵。
 Fán yǒu yīrén de zhǔzhāng, déliǎo zàn hé, shì cù qí qiánjìn de, déliǎo fǎnduì, shì cù qí fèndòu de, dú yǒu jiàohǎn yú shēng rén bìng wú fǎnyìng, jì fēi zàntóng, yě wú fǎnduì, rú zhìshēn háo wú biānjì de huāngyuán, wú kě cuòshǒu dele, zhè shì zěnyàng de bēi'āi ā.
 「およそ一人の主張が賛同されれば、もっと前進するし、反対されればさらに奮闘を促すことになります。独りで叫んでいるだけで、反応がなく、賛同もされず、反対もないのは、荒野の果てに身を置いているようなもので、どうすることもできず、どんなに可哀そうなことであろうか。」
 
 今日の論語一日一章は、論語15-1(論語巻第八 衛霊公第十五篇 1章)です。
 衛霊公問陳於孔子孔子對曰、俎豆之事、則嘗聞之矣、軍旅之事、未之學也、明日遂行、
 Wèilíng gōng wèn chén yú kǒngzǐ, kǒngzǐ duì yuē, zǔ dòu zhī shì, zé cháng wén zhī yǐ, jūnlǚ zhī shì, wèi zhī xué yě, míngrì suìxíng,
 (卫靈公问陈於孔子孔子对曰,俎豆之事,则嘗闻之矣,军旅之事,未之学也,明日遂行,
 「衛の霊公、陳を孔子に問う。孔子対えて曰く、俎豆の事は則ち嘗てこれを聞けり。軍旅の事は未だこれを学ばざるなり。明日遂に行る。」
 (衛の霊公が孔子に戦陣のことをたずねられた。孔子はお答えして「お供の器のことなら前から聞いておりましたが、軍隊のことはまだ学んでおりません。」といわれると、あくる日にすぐ衛のくにから立たれた。)