1月24日、小説の趣向つづまらぬ火鉢哉

 21日の朝一番で東京へ行き、日帰りで夜の11時に家に帰りつき、翌22日は昼の新幹線でまた東京へ行き、その日は日本橋人形町のホテルにとまり、23日朝に東京駅から新幹線で仙台に降り、その日の4時少し前に青森行きの新幹線にのり、6時には青森へ戻ったのでした。
 今日24日は、日曜日ですが、25日のセミナーの報告の準備で外へでないつもりでしたが、昼からの地熱のセミナーに顔を出し、結局、4時過ぎまで外出してしまい、夜にはパワーポイントの操作ミスで途中までで消去してしまいやり直したため、徹夜してしまいました。
 ひ‐ばち【火鉢】
灰を入れ、中に炭火などをいけて、手を暖め、湯茶などを沸かすのに用いる具。木製・金属製・陶器製などがある。火櫃(ヒビツ)。ひおけ。?/font>季・冬?/font>。「―にあたる」
 おざき‐こうよう【尾崎紅葉】ヲ‥エフ
小説家。硯友社(ケンユウシヤ)の代表作家。名は徳太郎。江戸芝生れ。一八八五年(明治一八)山田美妙らと硯友社を興し「我楽多文庫」を創刊。明治文壇の雄として偉業を遺し、泉鏡花小栗風葉・柳川春葉・徳田秋声らの逸材を出した。作「二人比丘尼色懺悔」「伽羅枕」「多情多恨」「金色夜叉」など。(18671903)
 こうだ‐ろはん【幸田露伴】カウ‥
小説家。本名、成行(シゲユキ)。別号、蝸牛庵。江戸下谷生れ。一八八九年(明治二二)風流仏」などを発表。理想主義的傾向をもつ擬古典派に属し、紅葉と並び称された。小説「五重塔」「連環記」、史伝「運命」「頼朝」、戯曲「名和長年」、長編詩集「出廬」など。文化勲章(18671947)
 子規の文章論は、佐藤紅緑によれば、「しっかりと真実をつかめば字句などはどうでもよい」。
 
 今日の魯迅箴言365日は、箴言197です。
 即使艰难,也还要做;愈艰难,就愈要做。改革,是向来没有一帆风顺的,冷笑家的赞成,是在见了成效之后,
 Jíshǐ jiānnán, yě hái yào zuò; yù jiānnán, jiù yù yào zuò. Gǎigé, shì xiànglái méiyǒu yīfānfēngshùn de, lěngxiào jiā de zànchéng, shì zài jiànle chéngxiào zhīhòu,
 「けれども、たとい困難であろうとも、それでもやはりやらねばならぬ。難しければ難しいほど、ますますやらねばならぬと思っている。改革で、昔から順風に帆を揚げたものはなかった。冷笑家の賛成は、つねに成功を見た後のことである。」
 
 今日の論語一日一章は、論語15-6(論語巻第八 衛霊公第十五篇 6章)です。
 子張問行、子曰、言忠信、行篤敬、雖蠻貊之邦行矣、言不忠信、行不篤敬、雖州里行乎哉、立則見其參於前也、在輿則見其倚於衡也、夫然後行也、子張書諸紳、
 Zi zhāng wèn xíng, zǐ yuē, yán zhōngxìn, xíng dǔ jìng, suī mán mò zhī bāngxíng yǐ, yán bù zhōngxìn, xíng bù dǔ jìng, suī zhōu lǐ háng hū zāi, lì zé jiàn qí cān yú qián yě, zài ào zé jiàn qí yǐ yú héng yě, fū ránhòu xíng yě, zi zhāng shū zhū shēn,
 (子张问行,子曰,言忠信,行笃敬,虽蠻貊之邦行矣,言不忠信,行不笃敬,虽州里行乎哉,立则见其参於前也,在奥则见其倚於衡也,夫然后行也,子张书诸绅,)
 「子張、行なわれんことを問う。子曰わく、言忠信、行篤敬なれば、蛮狛の邦と雖も行われん。言忠信ならず、行篤敬ならざれば、州里と雖も行われんや。立ちては即ち其の前に參するを見、輿(くるま)に在りては即ち其の衡に倚るを見る。夫れ然る後に行われん。子張、諸れを紳に書す。」
 (子張が思いどおりに行われるにはとおたずねした。孔子はいわれた、「ことばにまごころがあり、行ないがねんごろであれば、野蛮な外国でさえ行われる。ことばにまごころがなく、行ないもねんごろでないなら、国内の町や村の中でさえ行われまい。立っているときにはそのことまごころとねんごろが前にやってくるように見え、車に乗っているときにはそのことが車の前の横木に倚りかかっているように見える、まあそのようになってはじめておこなわれるのだ。」と。子張はそのことばを忘れないように広帯のはしに書きつけた。)