1月26日、寒垢離や信心堅き弟子大工

 1月26日、今日は2年ぶりぐらいで、札幌に来ています。すすきのホテルです。
 かん‐ごり【寒垢離】
寒中に社寺に詣で冷水を身に浴びて神仏に祈願すること。町の家々を巡り水を浴びる行をもいう。>季・冬>。「―や上の町まで来りけり」(蕪村)

 今日の魯迅箴言365日は、箴言199です。
 要进步或不退步,总须时时自出新裁,至少必取材异域,倘若各种顾忌,各种小心,各种唠叨,这么做即违了祖宗,那么做又像了夷狄,终生惴惴如在薄冰上,发抖尚且来不及,怎么会做出好东西来。
 Yào jìnbù huò bù tuìbù, zǒng xū shíshí zì chū xīncái, zhìshǎo bì qǔcái yìyù, tǎngruò gè zhǒng gùjì, gè zhǒng xiǎoxīn, gè zhǒng láo dāo, zhème zuò jí wéile zǔzōng, nàme zuò yòu xiàngle yídí, zhōngshēng zhuì zhuì rú zài bó bīng shàng, fādǒu shàngqiě láibují, zěnme huì zuò chū hǎo dōngxī lái.
 「進歩するためには、或いは退歩しないためには、絶えず自分で新しい体裁を創り出さねばならぬ。少なくとも外国から材料を取り入れることが必要である。もしもいろんな遠慮、いろんな用心、いろんな小言のために、こうすればご先祖様に申し訳がないとか、ああすれば夷狄みたいだとか、一生涯、まるで薄氷でも踏んでいるかのようにおどおどして、震えあがっても追いつかないといった有様では、とても立派なものを創り出せるはずはない。」

 今日の論語一日一章は、論語15-8(論語巻第八 衛霊公第十五篇 8章)です。
 子曰、可興言而不興之言、失人、不可興言而興之言、失言、知者不失人、亦不失言、
 Zǐ yuē, kě xìng yán ér bù xīng zhī yán, shī rén, bùkě xìng yán ér xìng zhī yán, shīyán, zhì zhě bù shī rén, yì bù shīyán,
 (子曰,可兴言而不兴之言,矢人,不可兴言而兴之言,失言,知者不失人,亦不失言,)
 「子曰わく、与(とも)に言うべくしてこれを言わざれば、人を失う。与に言うべからずしてこれを言えば、言を失う。知者は人を失わず、亦た言を失わず。」
 (孔子がいわれた、「話し合うべきなのに話し合わないと、相手の人をとりにがす。話し合うべきでないに話し合うと、ことばをむだにする。智の人は人をとりにがすこともなければ、またことばをむだにすることもない。」と。)