1月27日、並べけり火燵の上の小人形

 1月27日、朝6時に起きて、7時からの朝食はホテルのバイキングでした。たっぷり食べることができました。部屋もダブルサイズの広さで、きれいな調度品がそろっていました。9時に田村さんとホテルを出て、北海道グリーンファンドのエコ講座に参加するため、札幌駅北口の環境局のビルまで地下鉄に乗りました。2駅目がさっぽろ駅でJRの札幌駅まで地下道を歩き、北口地下道をあるいて、そのままビルの地下に通じていました。環境プラザのロビーで待ち合わせをして、すぐ近くのナショナルのHEMS展示場までいどうしました。30人の札幌市民と一緒に省エネ住宅の説明と展示を12時まで受けたのでした。12時5分に講座は終了しました。
 12時25分発のエアポート快速に乗り、新千歳空港に着いたのは、1時でした。チェックインして、空港内のラーメン道場でラーメンを食べ、2時発の飛行機に乗り、2日間の札幌出張を終えたのでした。
 青森に帰ってきて、車を車庫に入れ、ひと休みしてから、5時半からの憲法を守る県民の会の役員会と学習会、そして新年会に出席するためにバスに乗ったのでした。
 学習会では、金澤弁護士からヒットラーのナチの独裁に至る道のりが報告解説されて日本の現状にも話がおよびました。
 新年会が終わり、成田先生とジンスケへ行き、山形の十四代など銘酒を飲んで、帰りに送ってもらいました。
 こ‐たつ【炬燵・火燵】
 床(ユカ)をきって炉を設け、上にやぐらを置き、蒲団(フトン)をかけて暖をとるもの。また、床を切らずにやぐらの中に火を入れた置き炬燵もある。「電気―」而存留,万一见效

 今日の魯迅箴言365日は、箴言200です。
 近来我悟到凡带一点改革性的主张,倘于社会无涉,才可以作为”废话”而存留,万一见效,提倡者即大概不免吃苦或杀身之祸。古今中外,其揆一也。
 Jìnlái wǒ wù dào fán dài yīdiǎn gǎigé xìng de zhǔzhāng, tǎng yú shèhuì wú shè, cái kěyǐ zuòwéi” fèihuà” ér cúnliú, wàn yī jiànxiào, tíchàng zhě jí dàgài bùmiǎn chīkǔ shāshēn zhī huò. Gǔjīn zhōngwài, qí kuí yī yě.
 「近頃、私はわかったのですが、改革性をもった主張は、社会とかかわりのないものなら、「たわごと」としてそのまま残されるが、万一それが実際に効力あるものであったら、提唱者は、大抵ひどい目にあわされるか、命をおとす災難にあうことになります。古今東西を問わず、それは同じです。」

 今日の論語一日一章は、論語15-9(論語巻第八 衛霊公第十五篇 9章)です。
 子曰、志士仁人、無求生以害仁、有殺身以成仁、
 Zǐ yuē, zhìshì rén rén, wú qiúshēng yǐ hài rén, yǒu shāshēn yǐ chéngrén,
 (子曰,志士仁人,无求生以害仁,有杀身以成仁,)
 「子曰わく、志士仁人は、生を求めて以て仁を害すること無し。身を殺して以て仁を成すこと有り。」
 (孔子がいわれた、「志のある人や仁の人は、命惜しさに仁徳を害するようなことはしない。時には命をすててでも仁徳を成し遂げる。」と。)