1月30日、鯨つく漁父ともならで坊主哉

 1月30日、土曜日です。ゆったりとした気持で朝起きることができました。昨日29日は、八戸からの戻り、市民の会の蓮心寺に向かう途中、東奥文芸の締切に気付きました。慌ててコンビニでハガキを買い、例会のあいだに2句どうにかつくり、走って柳町角のポストへ投函したのでした。7時20分の集配予定でしたから、7時10分でしたので、たぶん間に合ったと思います。毎月、東奥文芸の締切に間に合うように出すのが、この2年つづけていることなので、今年も結果はどうあれ守っていきたいと思うのです。「自由化の鐘が鳴るまで蓮心寺」「大寒の暖冬よそに雪まつり」これじゃとても駄目です。
 子規が日蓮を礼讃していたとは意外でした。ここで、漁父とは日蓮のことのようです。日蓮の宗旨にではなく、千辛万苦に屈することなく、一難を経るごとに勇気百倍し、初一念を貫徹して法華の宗礎を築いた勇猛心に共鳴したようなのです。
 にちれん【日蓮
鎌倉時代の僧。日蓮宗の開祖。字は蓮長。安房国小湊の人。初め天台宗を学び高野山・南都等で修行、仏法の真髄を法華経に見出し、一二五三年(建長五)清澄山で日蓮宗を開いた。辻説法を行なって他宗を攻撃し、「立正安国論」の筆禍により伊豆に流された。赦免後も言動を改めず、佐渡に流される。七四年(文永一一)赦されて鎌倉に帰り、身延山を開く。武蔵国池上に寂。著「観心本尊抄」「開目抄」など。(12221282)

 今日の魯迅箴言365日は、箴言203です。
 这并未改革的社会里,一切单独的新花样,都不过是一块招牌,实际上和先前并无两样。拿一匹小鸟并在笼中,或给站在竿子上,地位好像改变了,其实还只是一样的在给别人做玩意,一饮一啄,都听命于别人。
 Zhè bìng wèi gǎigé de shèhuì lǐ, yīqiè dāndú de xīn huāyàng, dōu bùguò shì yīkuài zhāopái, shíjì shang hé xiānqián bìng wú liǎngyàng. Ná yī pǐ xiǎo niǎo bìng zài lóng zhōng, huò jǐ zhàn zài gānzi shàng, dìwèi hǎoxiàng gǎibiànle, qíshí hái zhǐshì yīyàng de zài gěi biérén zuò wányì, yī yǐn yī zhuó, dōu tīngmìng yú biérén.
 「まだ改革されぬ今の社会においては、単独の新型模様は、おしなべてみな一枚の看板にすぎない。実際上、前と全然変わりはない。一羽の小鳥を籠のうちに閉じ込めても、竿にとまらせても、地位は変わったように見えるが、じつは、どちらも同じように人の弄び物である。一飲一啄、ただ他人の命のままに動いているのである。」

 今日の論語一日一章は、論語15-12(論語巻第八 衛霊公第十五篇 12章)です。
 子曰、人而無遠慮、必有近憂、
 Zǐ yuē, rén ér wúyuǎnlǜ, bì yǒu jìn yōu,
 (子曰,人而无远虑,必有近憂,)
 「子曰わく、人にして遠き慮り無ければ、必ず近き憂い有り。」
 (孔子がいわれた、「人として遠くまでの配慮がないようでは、きっと身近い心配ごとが起こる。」と。)