1月30日、土曜日です。ゆったりとした気持で朝起きることができました。昨日29日は、八戸からの戻り、市民の会の蓮心寺に向かう途中、東奥文芸の締切に気付きました。慌ててコンビニでハガキを買い、例会のあいだに2句どうにかつくり、走って柳町角のポストへ投函したのでした。7時20分の集配予定でしたから、7時10分でしたので、たぶん間に合ったと思います。毎月、東奥文芸の締切に間に合うように出すのが、この2年つづけていることなので、今年も結果はどうあれ守っていきたいと思うのです。「自由化の鐘が鳴るまで蓮心寺」「大寒の暖冬よそに雪まつり」これじゃとても駄目です。
子規が日蓮を礼讃していたとは意外でした。ここで、漁父とは日蓮のことのようです。日蓮の宗旨にではなく、千辛万苦に屈することなく、一難を経るごとに勇気百倍し、初一念を貫徹して法華の宗礎を築いた勇猛心に共鳴したようなのです。
にちれん【日蓮】
这并未改革的社会里,一切单独的新花样,都不过是一块招牌,实际上和先前并无两样。拿一匹小鸟并在笼中,或给站在竿子上,地位好像改变了,其实还只是一样的在给别人做玩意,一饮一啄,都听命于别人。
Zhè bìng wèi gǎigé de shèhuì lǐ, yīqiè dāndú de xīn huāyàng, dōu bùguò shì yīkuài zhāopái, shíjì shang hé xiānqián bìng wú liǎngyàng. Ná yī pǐ xiǎo niǎo bìng zài lóng zhōng, huò jǐ zhàn zài gānzi shàng, dìwèi hǎoxiàng gǎibiànle, qíshí hái zhǐshì yīyàng de zài gěi biérén zuò wányì, yī yǐn yī zhuó, dōu tīngmìng yú biérén.
「まだ改革されぬ今の社会においては、単独の新型模様は、おしなべてみな一枚の看板にすぎない。実際上、前と全然変わりはない。一羽の小鳥を籠のうちに閉じ込めても、竿にとまらせても、地位は変わったように見えるが、じつは、どちらも同じように人の弄び物である。一飲一啄、ただ他人の命のままに動いているのである。」
子曰、人而無遠慮、必有近憂、
Zǐ yuē, rén ér wúyuǎnlǜ, bì yǒu jìn yōu,
(子曰,人而无远虑,必有近憂,)
「子曰わく、人にして遠き慮り無ければ、必ず近き憂い有り。」
(孔子がいわれた、「人として遠くまでの配慮がないようでは、きっと身近い心配ごとが起こる。」と。)