1月29日、襟巻に顔包みたる車上かな

  昨日から、3月11日の核燃裁判の原子力防災に関する準備書面の準備に取り掛かっていました。24日につついて徹夜かと思いましたが、5時半にダウンしてしまいました。今日はその核燃サイクル阻止1万人訴訟原告団の事務局会議です。昼に新幹線で八戸へいき、バスで根城の浅石弁護士事務所へ向かいました。5時の新幹線で青森へ戻り、蓮心寺の核燃いらない市民の会の例会に出ました。次回の2月19日の事務局会議までに「再処理工場の原子力防災対策」についてまとめることになりました。
 陸羯南が社長の日本新聞社の記者となった子規は、始終懐手で、懐中に古書や反故紙を詰め込んで、埃じみた紫色の毛糸の襟巻で顔を包んでいたようです。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言202です。
 同是不满于现状,但打破现状的手段却大不同;一是革新,一是复古。同是革新,那手段也大不同;一是难行,一是一举。这两者有斗争。难行者的好幌子,一定是完全和精密,借此来阻碍易举者的进行,然而它本身,却因为是虚悬的计戏,结果总并无成就;就是不行。
 Tóng shì bùmǎn yú xiànzhuàng, dàn dǎpò xiànzhuàng de shǒuduàn què dà bùtóng; yī shì géxīn, yī shì fùgǔ. Tóng shì géxīn, nà shǒuduàn yě dà bùtóng; yī shì nán xíng, yī shì yījǔ. Zhè liǎng zhě yǒu dòuzhēng. Nán xíngzhě de hǎo huǎngzi, yīdìng shì wánquán hé jīngmì, jiè cǐ lái zǔ'ài yì jǔ zhě de jìnxíng, rán'ér tā běnshēn, què yīn wéi shì xūxuán de jì xì, jiéguǒ zǒng bìng wú chéngjiù; jiùshì bùxíng.
 「同じく現状に不満でも、現状打破の手段は大いに異なる。ひとつは革新、ひとつは」復古である。同じく革新の手段も大きく異なっている。ひとつは難行、ひとつは一挙である。この両者には闘争がつきものだ。難行をする者にはいい看板(名目)があり、ある程度の完璧さと精密さです。これで一挙にことを成そうとする者の彼自身が障害となって、宙ぶらりん状況になることによって、結果としてすべてが成し遂げられることなく、なにも行われないのです。」

 今日の論語一日一章は、論語15-11(論語巻第八 衛霊公第十五篇 11章)です。
 顔淵問爲邦、子曰、行夏之時、乗殷之輅、服周之冕、樂則韶舞、放鄭聲、遠佞人、鄭聲淫、佞人殆、
 Yán yuān wèn wèi bāng, zǐ yuē, xíng xià zhī shí, chéng yīn zhī hé, fú zhōuzhīmiǎn, lè zé sháo wǔ, fàng zhèng shēng, yuǎn nìng rén, zhèng shēng yín, nìng rén dài,
 (颜渊问为邦,子曰,行夏之时,乘殷之輅,服周之冕,乐则韶舞,放郑声,远佞人,郑声淫,佞人殆,)
 「顔淵、邦を爲(おさ)めんことを問う。子曰わく、夏の時を行ない、殷の輅に乗り、周の冕を服し、楽は則ち韶舞し、鄭声を放ちて佞人を遠ざけよ。鄭声は淫に、佞人は殆(あや)うし。」
 (顔淵が国の治めかたをおたずねした。孔子はいわれた、「夏の暦(こよみ)を使い、殷の輅の車に乗り、周の冕の冠をつける。音楽は舜の韶の舞いだ。鄭の音曲をやめて口上手なものを退(さ)ける。鄭の音曲は淫らだし、口上手なものは危険だから。」)