2月3日、四十二の古ふんどしや厄落し

 今日は2月3日、節分です。芭蕉の句に「野晒しを心に風のしむ身かな」があります。
 せつ‐ぶん【節分】
(セチブンとも)
①季節の移り変る時、すなわち立春立夏立秋立冬の前日の称。
②特に立春の前日の称。この日の夕暮、柊(ヒイラギ)の枝に鰯(イワシ)の頭を刺したものを戸口に立て、鬼打豆と称して炒()った大豆をまく習慣がある。?/font>季・冬。
 ふんどし【褌・犢鼻褌】,
(フミトオシ(踏通)の転という)
①男子の陰部をおおい隠す布。たふさぎ。したおび。ふどし。〈日葡〉
②ゆもじ。腰巻。
 やく‐どし【厄年】
人の一生のうち、厄にあうおそれが多いから忌み慎まねばならないとする年。数え年で男は二五・四二・六一歳、女は一九・三三・三七歳などという。特に男の四二歳と女の三三歳を大厄(タイヤク)といい、その前後の年も前厄(マエヤク)・後厄(アトヤク)といって恐れ慎む風があった。厄回り。年忌。宇津保楼上下「左大殿の―におはするとて」

 今日の魯迅箴言365日は、箴言207です。
 采用外国的良规,加以发挥,使我们的作品更加丰满是一条路;择取中国的遗产,融合新机,将来的作品别开生面也是一条路。
  Cǎiyòng wàiguó de liáng guī, jiāyǐ fāhuī, shǐ wǒmen de zuòpǐn gèngjiā fēngmǎn shì yītiáo lù; zé qǔ zhōngguó de yíchǎn, rónghé xīn jī, jiānglái de zuòpǐn biékāishēngmiàn yěshì yītiáo lù.
「外国の優れた手本を採り入れ、発展させ、我々の作品をより豊かにするのも一つの道だし、中国の遺産を吸収し、新機軸と融合せしめて、将来の作品に新生面を開いてゆくのも一つの道である。」

 今日の論語一日一章は、論語15-16(論語巻第八 衛霊公第十五篇 16章)です。
 子曰、不曰如之何如之何者、吾末如之何也已矣、
 Zǐ yuē, bù yuē rú zhī hérú zhī hézhě, wú mò rú zhī hé yě yǐ yǐ,
(子曰,不曰如之何如之何者,吾末如之何也已矣,)
「子曰わく、如之何(いかん)、如之何と曰わざる者は、吾れ如之何ともすること末(な)きのみ。」
孔子がいわれた、「『どうしようか、どうしようか。』といわないような者は、わたしにもどうしようもないねえ。」と。)