2月6日、凧揚げて天狗をたのむ童かな

 2月6日、今日は川柳の句会があり、苦戦しています。川柳は難しい。ユーモアとセンスが必要なのだと痛感しています。
 子規が少年のころ、松山では旧正月に凧をあげ、「天狗さん風おくれ鰯の頭を三つあげよ」と歌っていたそうです。
 たこ‐あげ【凧揚げ】
凧をあげること。多く、正月の子供の遊び。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言210です。
 旧形式是采取,必有所删除,既有删除,必有所增益,这结果是新形式的出现,也就是变革。而且,这工作是决不如旁观者所想的容易的。
 Jiù xíngshì shì cǎiqǔ, bì yǒu suǒ shānchú, jì yǒu shānchú, bì yǒu suǒ zēngyì, zhè jiéguǒ shì xīn xíngshì de chūxiàn, yě jiùshì biàngé. Érqiě, zhè gōngzuò shì jué bùrú pángguān zhě suǒ xiǎng de róngyì de.
 「旧形式を取り入れるには、必ず削除が行われるべきであるが、削除が行われるからには、必ず添加が行われるべきであり、その結果として出てくるものが新形式であり、またこれがつまり変革である。しかも、この仕事は決して傍観者が想像するほど容易なものではないのである。」

 今日の論語一日一章は、論語15-19(論語巻第八 衛霊公第十五篇 19章)です。
 子曰、君子病無能焉、不病人之不己知也、
 Zǐ yuē, jūnzǐ bìng wúnéng yān, bù bìngrén zhī bù jǐ zhīyě,
 (子曰,君子病无能焉,不病人之不己知也,)
 「子曰わく、君子は能なきことを病う。人の己れを知らざることを病えず。」
 (孔子がいわれた、「君子は自分に才能がないことを気にして、人が自分を知ってくれないことなど気にかけない。」と。)