2月7日、引受の月次の会や炉の名残

 2月7日、2月最初の日曜日です。憲法をいかに守るか。原発再稼働と核燃サイクル(再処理)をいかに阻止するか、まさに正念場となっています。
 子規は明治31年1月に蕪村句集輪講を始め、その第2回を2月7日に開いています。それを病が重くなった明治34年まで続け、天明の俳聖の研究によって、蕪村の名を世に知らしめたのでした。
 よさ‐ぶそん【与謝蕪村
江戸中期の俳人・画家。摂津の人。本姓は谷口、後に改姓。別号、宰鳥・夜半亭・謝寅など。幼時から絵画に長じ、文人画で大成するかたわら、早野巴人(ハジン)俳諧を学び、正風(シヨウフウ)の中興を唱え、感性的・浪漫的俳風を生み出し、芭蕉と並称される。著「新花つみ」「たまも集」など。俳文・俳句は後に「蕪村句集」「蕪村翁文集」に収められた。(17161783)

 今日の魯迅箴言365日は、箴言211です。
 倘若一定要问我青年应当向怎样的目标,那么,我只可以说出我为别人设计的话,就是;一要生存,二要温饱,三要发展。  我之所谓生存,并不是苟话;所谓温饱,并不是奢侈;所谓发展,也不是放纵。
 Tǎngruò yīdìng yào wèn wǒ qīngnián yīngdāng xiàng zěnyàng de mùbiāo, nàme, wǒ zhǐ kěyǐ shuō chū wǒ wèi biérén shèjì dehuà, jiùshì; yī yào shēngcún, èr yào wēnbǎo, sān yào fāzhǎn. Wǒ zhī suǒwèi shēngcún,Bìng bùshì gǒuhuó; suǒwèi wēnbǎo, bìng bùshì shēchǐ; suǒwèi fāzhǎn, yě bùshì fàngzòng.
「もし、私に青年はいかなる目標に向かうべきかと無理にも問うならば、私は、他の人のために考えた言葉をいうほかはないだろう。すなわち、一に生存、二に衣食、三に発展、と・・・・・・。私のいう、いわゆる生存とは、決してその場限りに生きることではなく、いわゆる衣食とは、奢侈なくらしのことではなく、いわゆる発展とは、放縦にするということではありません。」
 しゃ‐し【奢侈】
 必要程度や分限を超えたくらしをすること。おごり。ぜいたく。太平記二四「自ら居所を安んずるは俗士の―なり」。「―に流れる」
 ほう‐じゅう【放縦】ハウ‥
 気ままなこと。わがまま。ほうしょう。「―な気質」

 今日の論語一日一章は、論語15-20(論語巻第八 衛霊公第十五篇 20章)です。
 子曰、君子疾沒世而名不稱焉、
 Zǐ yuē, jūnzǐ jí mò shì ér míng bù chēng yān,
 (子曰,君子疾没世而名不称焉,)
「子曰わく、君子は世を没(お)えて名の称せられざることを疾(にく)む。」
孔子がいわれた、「君子は生涯を終わってから自分の名まえのとなえられないことを悩みとする。」と。)