3月18日、雲はあれど彼岸の入日赤かりし

 3月18日、東京はすっかり春でした。上野動物園には半ズボンの幼稚園生がゴリラやカバを観て、歓声をあげていました。親子連れを眺めているうちに、孫を連れて来る自分を夢想していました。
 9時に青森空港へ着きましたが、だいぶ暖かくなってきたのを肌で感じました。家に帰っても誰もいないのは何とも寂しい感じがします。新聞の整理、食器洗い、家計簿の整理と洗濯物の部屋干しなど結構家事もあるのです。なんやかやで、昼になってしまいました。朝昼兼用のインスタントラーメンを食べて、家を出たときは1時半になっていました。1時55分に弘大北日本新エネルギー研究所の研究セミナーの会場の水産ビルに到着しました。4本の研究発表を聞きましたが、いずれも専門用語の羅列と皆早口でちんぷんかんぷんでした。4時に会場をでて、文化会館でやっている創元会青森支部の展覧会を見に行きました。中学高校同期の飛鳥さんの作品を見に行くためでしたが、支部長の小林さんの風景画も気になりました。
 6時から壬生さんと英明氏のコンビと一緒に酒を飲みました。英明君は結局、電車に乗り遅れ、安方のホテルへ泊まりました。 

 今日の魯迅箴言365日は、箴言251です。
 假使我的血肉该喂动物,我情愿喂狮虎鹰隼,却一点也不给癞皮狗们吃。养肥了狮虎鹰隼,它们在天空,岩角,大漠,丛莽里是伟美的壮观,捕来放在动物园里,打死制成标本,也令人看了神旺,消去鄙吝的心。但养胖一群癞皮狗,只会乱钻,乱叫,可多么讨厌!
 Jiǎshǐ wǒ de xiěròu gāi wèi dòngwù, wǒ qíngyuàn wèi shī hǔ yīngsǔn, què yīdiǎn yě bù gěi làipígǒumen chī. Yǎng féile shī hǔ yīngsǔn, tāmen zài tiānkōng, yánjiǎo, dàmò, cóngmǎng lǐ shì wěi měide zhuàngguān, bǔ lái fàng zài dòngwùyuán lǐ, dǎ sǐ zhì chéng biāoběn, yě lìng rén kànle shén wàng, xiāoqù bǐlìn de xīn. Dàn yǎng pàng yīqún làipígǒu, zhǐ huì luàn zuān, luàn jiào, kě duōme tǎoyàn!
 「かりに私の血や肉を動物に食わせなければならないとしたら、どうかライオンや虎や鷹や隼に食わせたい。かさぶた犬どもには、一片たりともやりたくない。ライオンや虎や鷹や隼を肥えさせれば、彼らは天空に、岩頭に、砂漠に、密林に、勇壮なる美観となるであろうし、捕えて動物園に置いても、殺して剥製にしても、見る人を恍惚たらしめ、卑しい心を消し去らしめるであろう。だが、かさぶた犬どもを超えさせたところで、むやみに駆け回り、吠えたてるだけで、さぞうるさいことだろう!」

 今日の論語一日一章は、論語17-4(論語巻第九 陽貨第十七篇 4章)です。
 子之武城、聞絃歌之聲、夫子莞爾而笑曰、割鷄焉用牛刀、子游對白、昔者偃也、聞諸夫子、曰、君子學道則愛人、小人學道則易使也、子曰、二三子、偃之言是也、前言戯之耳、
 Zǐ zhī wǔ chéng, wén xiángē zhī shēng, fūzǐ guǎn'ěr ér xiào yuē, gē jī yān yòng niúdāo, zǐ yóu duìbái, xī zhě yǎn yě, wén zhū fūzǐ, yuē, jūnzǐ xué dàozé àirén, xiǎo rén xué dàozé yì shǐ yě, zǐ yuē, èrsānzi, yǎn zhī yán shì yě, qiányán hū zhī ěr,
 (子之武城,闻歌之声,夫子莞尔而笑曰,割鸡焉用牛刀,子游对曰,昔者俨也,闻诸夫子,曰,君子学道则爱人,小人学道则易使也,子曰,二三子,俨之言是也,前言戯之耳,)
 「子、武城に之きて絃歌の声を聞く。夫子莞爾として笑いて曰わく、鷄を割くに焉んぞ牛刀を用いん。子游対えて曰わく、昔者偃や諸れを夫子に聞けり、曰わく、君子道を学べば則ち人を愛し、小人道を学べば則ち使い易しと。子曰わく、二三子よ、偃の言是なり。前言はこれに戯れしのみ。」
 (孔子が武城の町に行かれたとき、琴の音と歌声とを聞かれた。孔子はにっこり笑うと、「鶏をさばくのに牛切り包丁がどうして要るのかな。」といわれた。子游はお答えした、「前に偃は先生からお聞きしました。君子が道を学ぶと人を愛するようになり、小人が道を学ぶと使い易くなるということです。」孔子がいわれた、「諸君、偃のことばが正しい。」と。)