4月2日、古庭に一重ばかりの桜かな

 4月2日、昨日(4月1日)の上野公園はものすごい人出でした。文化会館では都の校長と副校長の辞令交付式が催されていて、国立西洋美術館前は、公園の桜見物散策と動物園や美術館をめざす人波が道に溢れ、進むのも容易ではありませんでした。西郷さんの銅像前の坂道は満開の桜のトンネルを立錐の余地のないほどの人だかりでした。外国人も多く、あちこちで中国語がとどいてきました。
 上野動物園は正面が覆われて、臨時門からの入場ということで長い列が行く重にも折り重なって入場者がチケット購入のため立ち並んでいました。誘導員に訊くと、年間パスポートは臨時門からまっすぐ入れるということで、回り道をさせられましたが、待ち時間なしで入場することができました。象、熊、ホッキョクグマ、を観て、たまたま空いていたモノレールに乗り西園にむかいました。
 10時30分にカバ園に着くと、ルイがプールの前で前足を出して寝そべっていました。10時50分にやおら立ち上がって獣舎の中へ入ろうと鉄パイプでできた扉に鼻を押し付けはじめました。「ルイちゃん、こっち向いてよ」幼稚園児らしい姉妹が黄色いこえをあげました。すると、ルイは耳を震わせ、尻尾を振りながら振り向いたのでした。「ルイちゃーあん」と再び歓声があがりました。
 11時になると飼育員が扉をあけ、ルイは獣舎にのそりのそりと入っていきました。いつものように、飼育員が飼料入った籠を胸に抱えて入ってきて、二籠分の草飼料をかきまぜて山盛りにして、ジローを迎えに行きました。3トンもあろうかという巨体にしてはすごく速い身のこなしでジローが現れ、餌に直行したのでした。お腹がすいていたのでしょう。
 びっくりすることが起こりました。いつもは、下腹部に隠れてみえない突起が見え、それがみるみる大きく紅くふくれあがったのです。先端が赤く充血したピンクの孟宗竹のような突起の先から細い舌のような触覚が伸びて床についたのでした。発情したのでした。ほどなく、触覚がしぼみ、突起も下腹部のなかへ隠れてしまいました。33歳のジローはまだまだ雄なのでした。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言268です。
 这拉纤或把舵的好方法,虽然也可以口淡,但大抵得益于实验,无论怎么看风看水,目的只是一个;向前。
 Zhè lāqiàn huò bǎduò de hǎo fāngfǎ, suīrán yě kěyǐ kǒu dàn, dàn dàdǐ dé yì yú shíyàn, wúlùn zěnme kàn fēng kàn shuǐ, mùdì zhǐshì yīgè; xiàng qián.
 「この舟を曳き、舵をとるよい方法は、口で言うこともできはするが、実験によって体得する場合が多い。風や水を見る方法がどうであろうと、目的はただ一つしかない。すなわち、前進することだ。」

 今日の論語一日一章は、論語17-19(論語巻第九 陽貨第十七篇 19章)です。
 子曰、予欲無言、子貢曰、子如不言、則小子何述焉、子曰、天何言哉、四時行焉、百物生焉、天何言哉、
 Zǐ yuē, yǔ yù wúyán, zi gòng yuē, zi rú bù yán, zé xiǎozi hé shù yān, zǐ yuē, tiān héyánzāi, sì shí xíng yān, bǎi wù shēng yān, tiān héyánzāi,
 (子曰,予欲无言,子贡曰,子如不言,则小子何述焉,子曰,天何言哉,四时行焉,百物生哉,
 「子曰わく、予れ言うことなからんと欲す。子貢が曰わく、子如し言わずんば、則ち小子何おか述べん。子曰わく、天何そか、言うや。四時、行なわれ、百物、生ず。天何をか言うや。」
 (孔子が「わしはもう何も言うまいと思う。」といわれた。子貢が「先生がもし何も言わなければ、わたしども門人は何を受け伝えましょう。どうかお話をしてくだい。」というと、孔子は言われた、「天は何か言うだろうか。四季はめぐっているし、万物も生長してている。天は何か言うだろうか。何も言わなくても、教えはある。言葉だけを頼りにしてはいけない。」と。)