4月3日、一桶の藍流しけり春の川

 4月3日、新年度に入り、最初の日曜日です。朝から小雨が降り続いています。天気予報では、今日一日雨の予報です。昼の戦争法廃止求める駅前集会に雨合羽を着て参加するつもりです。
 まずは日課をこなし、原告団のニュース原稿を書き、そのあと5日締切の9日の反核燃の日の自治労青年部の独自集会のための資料「電力自由化と再処理工場」にとりかからなければなりません。
 穏やかな日曜日です。日本を戦争をしない、平和で安心して暮らせる国にしていかねばなりません。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言269です。
 一道浊流,固然不如一杯清水的干净澄明,但蒸馏了浊流的一部分,却就有许多净水在。
 Yīdào zhuó liú, gùrán bùrú yībēi qīngshuǐ de gānjìng chéngmíng, dàn zhēngliúle zhuó liú de yībùfèn, què jiù yǒu xǔduō jìng shuǐ zài.
 「濁流はむろん、一杯の清水の清潔さや透明さに及ばない。だが、濁流の一部を蒸留すれば、何杯もの澄んだ水になる。」

 今日の論語一日一章は、論語17-20(論語巻第九 陽貨第十七篇 20章)です。
 孺悲欲見孔子孔子辭之以疾、將命者出戸、取瑟而歌、使之聞之、
 Rú bēi yù jiàn kǒngzǐ, kǒngzǐ cí zhī yǐ jí, jiāng mìng zhě chūhù, qǔ sè ér gē, shǐ zhī wén zhī,
 (孺悲欲见孔子孔子辞之以疾,将命者出户,取瑟而歌,使之闻之,)
 「孺悲、孔子に見えんと欲す。孔子辞するに疾を以てす。命を將なう者、戸を出ず。瑟を取りて歌い、これをして聞かしむ。」
 (孺悲が孔子にお会いしたいといってきたが、孔子は病気だといってことわられた。とりつぎの者が戸口を出ていくと、孔子は瑟をとって歌って、聞こえるようにされた。仮病だとしらせて孺悲の反省を促したのである。)