4月16日、土佐カ絵の人丸兀ゲシ忌日カナ

 4月16日、未明に熊本県阿蘇地方で、震度6強の地震が2度起こり、ほかにも余震が続いているという。熊本市では、停電と断水、しかもガスも止められているということです。大変な状況となっているのです。マグニチュードは7.3の震度6強の本震が起こったというのです。14日の地震は前震だというふうに訂正しました。余震がつづきまさに恐怖のるつぼのなかで避難生活を余儀なくされているわけで、ケガや体調が悪くなっているひとが多いとラジオが報じています。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言279です。
 我向来的意见,是以为倘有慈母,或是幸福,然若生而失母,却也并非完全的不幸,他也许倒成为更加勇猛,更无挂碍的男儿的。
 Wǒ xiàそれがnglái de yìjiàn, shì yǐwéi tǎng yǒu címǔ, huò shì xìngfú, rán ruòshēng ér shī mǔ, què yě bìngfēi wánquán de bùxìng, tā yěxǔ dào chéngwéi gèngjiā yǒngměng, gèng wú guà'ài de nán'ér de.
 「私の前からの意見では、もし慈母がいれば幸福であるかもしれないが、しかしもし生まれて母を失ったとしても、それが全くの不幸だというわけではなく、その子供はますます勇猛になり、後には心をひかれる心配のない男児になるかもしれない、と寛がていたからである。」

 今日の論語一日一章は、論語18-7(論語巻第九 微子十八篇 7章)です。
 子路從而後、遇丈人以杖荷蓧、子路問曰、子見夫子乎、丈人曰、四體不均勤、五穀不分、孰爲夫子、植其杖而芸、子路拱而立、止子路宿、殺雞爲黍而食之、見其二子焉、明日子路行以告、子曰、隠者也、使子路反見之、至則行矣、子路曰、不仕無義、長幼之節、不可廢也、君臣之義、如之何其可廢也、欲潔其身而亂大倫、君子之仕也、行其義也、道之不行也、已知之矣、
 Zilù cóng'ér hòu, yùqi zhàngrén yǐ zhàng hé diào, zilù wèn yuē, zi jiàn fūzǐ hū, zhàngrén yuē, sì tǐ bù jūn qín, wǔgǔ bù fēn, shú wèi fūzǐ, zhí qí zhàng ér yún, zilù gǒng érlì, zhǐ zilù sù, shā jī wèi shǔ ér shí zhī, jiàn qí èrzi yān, míngrì zilù xíng yǐ gào, zǐ yuē, yǐnzhě yě, shǐ zilù fǎn jiàn zhī, zhì zéxíng yǐ, zilù yuē, bù shì wú yì, zhǎngyòu zhī jié, bùkě fèi yě, jūnchén zhī yì, rú zhī héqí kě fèi yě, yù jié qí shēn ér luàn dà lún, jūnzǐ zhī shì yě, xíng qí yìyě, dào zhī bùxíng yě, yǐ zhīzhī yǐ,
 (子路从而后,遇丈人以杖荷蓧,子路问曰,子见夫子乎,丈人曰,四体不均勤,五毂不分,孰为夫子,植其杖而芸,子路拱而立,止子路宿,杀鸡为黍而食之,见其二子焉,明日子路行以告,子曰,隐者也,使子路反见之,至则行矣,子路曰,不仕无义,长幼之节,不可废也,君臣之义,如之何其可废也,欲洁其身而乱大伦,君子之仕也,行其义也,道之不行也,已知之矣,)
 「子路従いて後れたり。丈人の杖を以て蓧を荷なうに遇う。子路問いて曰わく、子、夫子を見るか。丈人の曰わく、四体勤めず、五穀分かたず、孰をか夫子と為さん。其の杖を植えて芸る。子路拱して立つ。子路を止めて宿せしめ、鷄を殺し黍を為りてこれに食らわしめ、其の二子を見えしむ。明日、子路行きて以て告す。子曰わく、隠者なり。子路をして反りてこれを見しむ。至れば則ち行る。子路が曰わく、仕えざれば義なし。長幼の節は廃すべけんや。其の身を潔くせんと欲して大倫を乱る。君子の仕うるや、其の義を行なわんとなり。道の行われざるや、已にこれを知れり。」
 (子路がお供をしていて遅れたとき、杖で竹籠を荷った老人に出あった。子路がたずねて、「あなた、うちの先生を見ましたか」というと、老人は「手足も働かせず、五穀も作らないでいて、誰のことを先生というのだ。」といって、その杖を突きたてると草取りを始めた。子路がただ者でないとさとって敬意を表わし両手を胸に組み合わせて立っていると、やがて子路をひきとめて泊らせ、鷄を殺し黍めしをこしらえて食べさせ、その二人の子供をひきあわせた。翌日、子路孔子に追いついてそのことを申しあげると、孔子は「隠者だ。」といわれて、子路に引き返してもう一度会せようとされたが、行ってみるとたち去っていた。子路は留守の子供にむかっていった、「仕えなければ君臣の大義は無いが、長幼の折りめは捨てられない。昨日、あなたがたをひきあわせて下さったことでも分かる。してみると、君臣の大義もどうしてまあ捨てられよう。それを捨てているのはわが身を清くしようとして人としての大切な道を乱しているのだ。君子が仕えるというのは、その大義を行うのである。今の世の中に道が行われていないというのは、とっくにわかっている。」と。)