4月15日、大国の山皆低きかすみ哉

 今日は4月15日、熊本地震の影響で、9人が死亡、千人以上がけがをしている模様です。余震も続いているようで、被害はどんどん増えていくようです。日本はほんとうに地震列島なのです。原子力施設がたくさんある青森県は、地震津波による原子力防災対策が万全でなければ、安心して眠れません。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言278です。
 青年们先可以将中国变成一个有声的中国。大胆地说话,勇敢地进行,忘掉了一切利害,推并了古人,将自己的真心的话发表出来。
 Qīngniánmen xiān kěyǐ jiàng zhōngguó biàn chéng yīgè yǒushēng de zhōngguó. Dàdǎn de shuōhuà, yǒnggǎn de jìnxíng, wàngdiàole yīqiè lìhài, tuī bìngle gǔrén, jiāng zìjǐ de zhēnxīn dehuà fābiǎo chūlái.
 「青年たちは、まず中国を声ある中国にかえればいいのです。大胆にものをいい、勇敢にことを進め、あやゆる利害を忘れ去り、古人を押しのけて、自分の本当の考えを発表するのです。」

 今日の論語一日一章は、論語18-6(論語巻第九 微子第十八篇 6章)です。
 長沮桀溺耦而耕、孔子過之、使子路問津焉、長沮曰、夫孰與者爲誰、子路曰、爲孔丘、曰、是魯孔丘與、對曰是也、曰是知津矣、問於桀溺、桀溺曰、子爲誰、曰爲仲由、曰是魯孔丘之徒與、對曰、然、曰滔滔者天下皆是也、而誰矣易之、且而與其從辟人之士也、豈若從辟世之士哉、耰而不輟、子路行以告、夫子憮然曰、鳥獣不可與同群也、吾非斯人之徒與而誰與、天下有道、丘不與易也、
 Zhǎng jǔ jié nì ǒu ér gēng, kǒngzǐguò zhī, shǐ zilù wènjīn yān, zhǎng jǔ yuē, fū shú yù zhě wèi shuí, zilù yuē, wèi kǒng qiū, yuē, shì lǔ kǒng qiū yǔ, duì yuē shì yě, yuē shì zhījīn yǐ, wèn yú jié nì, jié nì yuē, zi wèi shuí, yuē wèi zhòng yóu, yuē shì lǔ kǒng qiū zhī tú yǔ, duì yuē, rán, yuē tāotāo zhě tiānxià jiē shì yě, ér shuí yǐ yì zhī, qiě ér yǔqí cóng pì rén zhī shì yě, qǐ ruò cóng pì shì zhī shì zāi, yōu ér bù chuò, zilù xíng yǐ gào, fūzǐ wǔrán yuē, niǎoshou bùkě yǔ tóng qún yě, wú fēi sī rén zhī tú yǔ ér shuí yǔ, tiānxià yǒu dào, qiū bù yǔ yì yě,
 (长沮桀溺耦而耕,孔子过之,使子路问津焉,长沮曰,夫孰与者为谁,子路曰,为孔丘,曰,是鲁孔丘与,对曰是也,日是知津矣,问於桀溺,桀溺曰,子为谁,曰为仲由,曰是鲁孔丘之徒与,对曰,然,曰滔滔者天下皆是也,而谁矣易之,且而与其从辟人之士也,岂若从辟世之士哉,耰而不辍,子路行以告,夫子怃然曰,鸟兽不可与群也,吾非斯人之徒与而谁与,天下有道,丘不与易也,
 「長沮・桀溺、耦して耕す。孔子これを過ぐ。子路をして津を問わしむ。長沮が曰わく、夫の與を執る者は誰と為す。子路が曰わく、孔丘と為す。曰わく、是れ魯の孔丘か。対えて曰わく、是れなり。曰わく、是れならば津を知らん。桀溺に問う。桀溺が曰わく、子は誰とか為す。曰わく、仲由と為す。曰わく、是れ魯の孔丘の徒か。対えて曰わく、然り。曰わく、滔滔たる者、天下皆な是なり。而して誰か以てこれを易えん。且つ而其の人を辟くるの土に従わんよりは、豈に世を欺くるの土に従うに若かんや。耰して輟まず。子路以て告す。夫子憮然として曰わく、鳥獣は与に群を同じくすべからず。吾れ斯の人の徒と与にするに非ずして誰と与にかせん。天下道荒あらば、丘は与にかせん。天下道あらば、丘は与に易えざるなり。)
 (隠者の長沮と桀溺とがならんで耕していた。孔子がそこを通られて、子路に渡し場をたずねさせられた。長沮は「あの馬車の手綱を持っているのはだれです。」というので、子路は「孔丘です。」というと、「それじゃ、魯の孔丘かね。」「はい。」と答えると、「それなら、渡し場は知っているだろう。あちこち巡り歩いて道を知っているはずだ。」といった。そこで桀溺にたずねると、桀溺は「あんたはだれです。」というので、「仲由です。」というと、「それじゃ孔丘の弟子かね。」「そうです。」と答えると、「どんどん流れてせき止められないものは、この河だけじゃない、世界じゅうがすべてそうだ。一体だれにこの乱世が改められよう。まあ、お前さんも立派な諸侯をさがすためにあれもだめ、これもだめと人間を棄てる人につくよりはね、いっそ世間を棄てる人についた方がましじゃないかな。」といって、種の土かけをしてやめなかった。子路がそのことを申しあげると、孔子はがっかりしていわれた、「鳥や獣とはいっしょに暮らすわけにはいかない。わたしはこの人間の仲間といっしょに居るのではなくて、だれといっしょに居ようぞ。世界中に道が行われているなら、丘も何も改めようとはしないのだ。」と。)