5月9日、山々は萌黄浅黄やほととぎす

 5月9日、月曜日です。8日の7時半に、三男が母の日のプレゼントを届けに来ました。7時のニュースまで忘れていたそうです。ホッとしました。薔薇でした。ラン、カーネーション、バラと三つの鉢が応接間に飾られました。
 
 今日の魯迅箴言365日は、箴言306です。
 个人的生命是可宝贵的,但一代的真理可宝贵,生命牺牲了真理昭然于天下,这死是值得的,就是不可以太打浑了水,把人家弄得不明不白。
 Gèrén de shēngmìng shì kě bǎoguì de, dàn yīdài de zhēnlǐ kě bǎoguì, shēngmìng xīshēngle zhēnlǐ zhāorán yú tiānxià, zhè sǐ shì zhídé de, jiùshì bùkě yǐtài dǎ húnle shuǐ, bǎ rénjiā nòng dé bùmíng bù bái.
 「個人の生命は尊いものであり、一代の真理も亦尊いものだが、命を犠牲にしてまでして得た天下の真理も尊いものである。いくら泥水をかきまぜてもエーテルにならないことははっきりしているのだから。」

 今日の論語一日一章は、論語19-19(論語巻第十 子張第十九篇 19章)です。
 孟氏使陽膚爲士師、問於曾子曾子曰、上失其道、民散久矣、如得其情、則哀矜而勿喜、
 Mèng shì shǐ yáng fū wèi shì shī, wèn yú céngzi, céng zǐ yuē, shàng shī qí dào, mín sàn jiǔ yǐ, rú dé qí qíng, zé āijīn ér wù xǐ,
 (孟氏使阳膚为士师,问於曾子曾子曰,上失其道,民散久矣,如得其情,则哀矜而勿喜,)
 「孟氏、陽膚をして士師たらしむ。曾子に問う。曾子の曰わく、上其の道を失いて、民散ずること久し。如し其の情を得ば、則ち哀矜して喜ぶこと勿かれ。」
 (孟孫氏が陽膚を士師(罪人を扱う官)にならせたとき、(陽膚はその職について)曾子にたずねた。曾子はいった、「上の者が正しい道を失っているために人民もゆるんでいること久しい。もし犯罪の実情をつかんだときには、あわれんでやって喜んではならぬ。」と。)