5月14日、椅子を置くや薔薇に膝の触るる処

 今日は5月14日、土曜日、原子力資料情報室の総会です。15日にも会議があり、明日帰る予定でしたが、飛行機がとれず、16日の午後の便で帰ることになりそうです。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言311です。
  做文章做到不通的境地也就不容易,我们对于中国古今文学家,敢保证谁决没有一句不通的文章呢? 有些人自以为”通”,那是因为他连”通” ”不通” 那不了然的缘故。
 Zuò wénzhāng zuò dào bùtōng de jìngdì yě jiù bù róngyì, wǒmen duìyú zhōngguó gǔjīn wénxué jiā, gǎn bǎozhèng shuí jué méiyǒu yījù bùtōng de wénzhāng ne? Yǒuxiē rén zì yǐwéi” tōng”, nà shì yīnwèi tā lián” tōng” ” bùtōng” nà bùliǎo rán de yuángù.
 「文章道の達人になるのは容易ではない。私たちは中国古来の文学者についてみたとき文章の達人をみたことがあろうか。自分が達人だとしていても、それは達人か達人でないかは彼の縁故があるかどうかに過ぎないのだ」

 今日の論語一日一章は、論語19-24(論語巻第十 子張第十九篇 24章)です。
 叔孫武叔毀仲尼、子貢曰、無以爲也、仲尼不可毀也、他人之賢者丘陵也、猶可踰也、仲尼如日月也、人無得而踰焉、人雖欲自絶也、其何傷於日月乎、多見其不知量也、
 Shū sūnwǔ shū huǐ zhòng ní, zi gòng yuē, wú yǐwèi yě, zhòng ní bùkě huǐ yě, tārén zhī xiánzhě qiūlíng yě, yóu kě yú yě, zhòng ní rú rì yuè yě, rén wú dé ér yú yān, rén suī yù zì jué yě, qí hé shāng yú rì yuè hū, duō jiàn qí bùzhī liàng yě,
 (叔孙武叔毁仲尼,子贡曰,无以为也,仲尼不可毁也,他人之贤者丘陵也,猶可踰也,仲尼如日月也,人无得而踰焉,人虽欲自绝也,其何伤於日月乎,多见其不知量也,)
 「叔孫武叔、仲尼を毀る。子貢が曰わく、以て為すこと無かれ。仲尼は毀るべからざるなり。他人の賢者は丘陵なり、猶お踰ゆべきなり。仲尼は日月なり、得て踰ゆること無し。人自ら絶たんと欲すと雖ども、其れ何ぞ日月を傷やんや。多に其の量を知らざるを見るなり。」
 (叔孫武叔が仲尼のことは悪く言ったので、子貢はいった、「そんなことはおやめなさい。仲尼のことは悪くは言えませんよ。ほかの人のすぐれているというのは丘のようなもので、まだ越えられますが、仲尼は日や月のようなもので、越えることなどとてもできません。だれかがその悪口をいったりして自分から拒絶しようと思ったところで、一体日や月にとって何のさわりになりましょうか。その身のほどしらずをあらわすことになるだけです。」と。)