5月15日、土一塊牡丹生けたる其下に

 今日は5月15日、日曜日です。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言312です。
 但做文学的人总的闲定一点,正在革命中,那有功夫做文学。我们且想想;在生活困乏中,一面拉车,一面”之乎者也”,到底不大便当。古人虽有种田;雇了几个人替他种田,他才能吟他的诗;真要种田,就没有功夫做诗。
 Dàn zuò wénxué de rén zǒng de xián dìng yīdiǎn, zhèngzài gémìng zhòng, nà yǒu gōngfū zuò wénxué. Wǒmen qiě xiǎng xiǎng; zài shēnghuó kùnfá zhōng, yīmiàn lā chē, yīmiàn” zhīhūzhěyě”, dàodǐ bù dà biàndang. Gǔrén suī yǒu zhòngtián; gùle jǐ gèrén tì tā zhòngtián, tā cáinéng yín tā de shī; zhēn yào zhòngtián, jiù méiyǒu gōngfū zuò shī.
 「しかし、文学をやる人はどうしても暇がないといけない。革命の真っ只中では、とても文学をやっている暇なんかありません。ちょっと考えてごらんなさい。生活に困って、車を引っ張りながら、『之乎者也(なりけり・あらんや)』をやるのは、何といってもあまり都合よくない。古人には田をつくりながら詩をつくった人もありますが、あれはきっと自分で田をつくったのではない。人を雇って田をつくらせていたからこそ、彼らは詩をつくることができたのです。ほんとに田をつくっていた日には、とても詩をつくる暇なんてありはしません。」

 今日の論語一日一章は、論語19-25(論語巻第十 子張第十九篇 25章)です。
 陳子禽謂子貢曰、子爲恭也、仲尼豈賢於子乎、子貢曰、君子一言以爲知、一言以爲不知、言不可不慎也、夫子之不可及也、猶天之不可階而升也、夫子得邦家者、所謂立之斯立、道之斯行、綏之斯來、動之斯和、其生也榮、其死也哀、如之何其可及也、
 Chén zi qín wèi zi gòng yuē, zi wèi gōng yě, zhòng ní qǐ xián yú zi hū, zi gòng yuē, jūnzǐ yī yán yǐwèi zhī, yī yán yǐwèi bùzhī, yán bùkě bù shènyě, fūzǐ zhī bùkě jí yě, yóu tiān zhī bùkě jiē ér shēng yě, fūzǐ dé bāng jiā zhě, suǒwèi lì zhī sī lì, dào zhī sī xíng, suī zhī sī lái, dòng zhī sī hé, qí shēng yě róng, qí sǐ yě āi, rú zhī héqí kě jí yě,
 (陈子禽谓子贡曰,子为恭也,仲尼岂贤於子乎,子贡曰,君子一言以为知,一言以为知,言不可不慎也,夫子之不可及也,猶天之不可阶而升也,夫子得邦家者,所谓立之斯立,道之斯行,绥之斯来,动之斯和,其生也荣,其死也哀,如之何其可及也,)
 「陳子禽、子貢に謂いて曰わく、子は恭を為すなり。仲尼、豈に子より賢らんや。子貢が曰わく、君子は一言以て知と為し、一言以て知と為し、一言以て不知と為す。言は慎まざるべからざるなり。夫子の及ぶべからざるがごときなり。夫子にして邦家を得るならば、所謂これを立つれば斯に立ち、これを道びけば斯に行い、これを綏んずれば斯に来たり、これを動かせば斯に和す、其の生くるや栄え、其の死するや哀しむ。これを如何ぞ其れ及ぶべけんや。」
 (陳子禽が子貢に向かっていった、「あなたは謙遜されているのです。仲尼がどうしてあなたよりすぐれているものですか。」子貢はいった、「君子はただ一言で賢いともされるし、ただ一言で愚かともされる、ことばは慎重でなければならない。先生が及びもつかないことは、ちょうど天がはしごをかけて上れないようなものだ。先生がもし国家を治めることになれば、いわゆる『立たせれば立ち、導けば歩き、安らげればなつき、激励すればこたえる。』ということで、生きておられれば栄え、死なれれば悲しまれる。どうしてまたわたしごときが及べようか。」と。)