5月25日、古庭や桐の花散る井戸の蓋

 今日は5月25日、水曜日です。朝から、何かと忙しいのですが、7時20分に起きました。眠ったのは12時でした。昨夜のもどり、西滝川の左衛門橋の手前で自転車の後輪がパンクしていたのを思い出しました。修理してもらうのに自転車屋まで運ぶのが大変でしたが、とにかく古中の向かいの自転車屋まで乗っていくことにしました。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言322です。
  作为缺点较多的人物的模特儿,被写入一部小说里,这人总以为是晦气的。因为世间实在还有写不进小说里去的人。倘写进去,而又逼真,这小说便被毁坏。譬如画家,他画蛇,画鳄鱼,画龟,画果子壳,字纸篓,画垃圾堆,但没有谁画毛毛虫,画癞头疮,画鼻涕,画大便,就是一样的道里。
 Zuòwéi quēdiǎn jiào duō de rénwù de mótè ér, bèi xiě rù yī bù xiǎoshuō lǐ, zhè rén zǒng yǐwéi shì huìqì de. Yīnwèi shìjiān shízài hái yǒu xiě bù jìn xiǎoshuō lǐ qù de rén. Tǎng xiě jìnqù, ér yòu bīzhēn, zhè xiǎoshuō biàn bèi huǐhuài. Pìrú huàjiā, tā huà shé, huà èyú, huà guī, huà guǒ zǐ ké, zìzhǐ lǒu, huà lèsè duī, dàn méiyǒu shuí huà máomao chóng, huà lài tóu chuāng, huà bítì, huà dàbiàn, jiùshì yīyàng de dàolǐ.
 「欠点の多い人間のモデルにされて、小説の中に描かれると、本人はたいていいまいましがるものである。だが、これはそういまいましいことではない。なぜなら、小説の中に書けぬような人間さえいるからである。もし書けば、そしてそれが真にせまっていれば、その小説は、ぶちこわされてしまう。例えば、画家は、蛇を描き、鰐を描き、亀を描き、果物の皮を描き、紙屑籠を描き、ごみの山を描くけれども、誰一人として、毛虫を描き、かさかさ頭を描き、鼻汁を描き、糞を描くものがないのと、同じ理屈である。」