6月14日、夏羽織われをはなれて飛ばんとす

 今日は6月14日、火曜日です。参院選挙も近く、都議会では舛添都知事が連日糾弾され続けています。プライドを捨て、ひたすら職にとどまろうとする姿が哀れなくらい滑稽に感じます。青森市議会も9日から一般質問が始まっていますが、これまで傍聴した限りでは市長答弁もなく、緊迫した場面が感じられず、こちらは低調な論戦が続いています。しかし、今日の市議会で仲谷議員の質問に対して、市長は平和の日条例施行や男女共同参画社会の実現について丁寧に答弁していたのが、とても印象に残りました。ただ、再生可能エネルギーの普及推進や市が独自に定めた原子力防災計画の実効性についての部長答弁は不十分なものでした。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言342です。
 选本可以借古人的文章,寓自己的意见。博览群籍,采其合于自己意见的为一集,一法也,如≪文选≫是。择取一书,删其不合于自己意见的为一新书,又一法也,如≪唐人万首绝句选≫是。如此,则读者虽读古人书,却得了选者之意,意见也就逐渐和选者接近,终于”就范”了。
 Xuǎn běn kěyǐ jiè gǔrén de wénzhāng, yù zìjǐ de yìjiàn. Bólǎn qún jí, cǎi qí hé yú zìjǐ yìjiàn de wéi yī jí, yī fǎ yě, rú ≪wénxuǎn ≫shì. Zé qǔ yī shū, shān qí bùhé yú zìjǐ yìjiàn de wéi yī xīnshū, yòu yī fǎ yě, rú ≪tángrén wàn shǒu juégōu xuǎn ≫shì. Rúcǐ, zé dúzhě suī dú gǔrén shū, què déliǎo xuǎn zhě zhī yì, yìjiàn yě jiù zhújiàn hé xuǎn zhě jiējìn, zhōngyú” jiùfàn”le.
 「選集では古人の文章を借りてきて、自分の意見のようにすることができる。博覧群籍を以て、さながら自分の意見のようにその一集にまとめることも一法であり、まさに”文選”のようでもある。まさに、一冊の書をかすめとり、あたかも自分の新しい本のようにすることだってできる。たとえば、”唐詩人万首絶句集”のように。このように、読者は古人の書物を読んだつもりでも、それは選者の意見が得られただけであり、選者に近づくことはできても、結局のところ選者に”服従する”ことと同じだ。」