12月24日、風呂吹や蕪村百十八回忌

 十二月二十四日です。クリスマスです。孫の顔が見たいのですが、来る気配はありません。落着いて日課をやっていると、心が穏やかになります。6時に三甲会のYa君と堤で会うので、それまでゆったりと机に向かっています。明日の陽の会の最後の例会の準備もしなくてはなりません。いい小説を書くためにも川柳もしっかりやりたいと思います。
 与謝蕪村を崇拝していた正岡子規は明治33年(1900年)の12月24日に標題の句を詠んでいます。この日が118回忌ということは、蕪村は1783年の12月24日に亡くなったことになります。
 よさ‐ぶそん【与謝蕪村
 江戸中期の俳人・画家。摂津の人。本姓は谷口、後に改姓。別号、宰鳥・夜半亭・謝寅など。幼時から絵画に長じ、文人画で大成するかたわら、早野巴人(ハジン)俳諧を学び、正風(シヨウフウ)の中興を唱え、感性的・浪漫的俳風を生み出し、芭蕉と並称される。著「新花つみ」「たまも集」など。俳文・俳句は後に「蕪村句集」「蕪村翁文集」に収められた。(17161783)

 今日の魯迅箴言130は、箴言54です。
 谚语固然好像一时代一国民的意思的结晶,但其实,却不过是一部分的人们的意思。
 Yànyǔ gùrán hǎoxiàng yī shídài yī guómín de yìsi de jiéjīng, dàn qíshí, què bùguò shì yībùfèn de rénmen de yìsi.
 諺は、ある時代、ある国民の意思の結晶のようにみえて、じつは、一部の人々の意思にすぎない、と。
 魯迅は、ここで諺は決して正しいわけではなく、国民の意思どころか、一部の人々の意思に過ぎないのだから、諺を多用する人間には気をつけろといっているのです。