4月2日、古池に一重ばかりの桜かな

 今日は4月2日、日曜日です。朝7時前に起きましたが、とてもいい天気です。漸く青森にも春がやってきたようです。明日からは8時半に家を出て、青柳の事務所に行って、1時間いてそれから新町の事務所へ顔を出してみます。
 子規の松山の家は、中の川というところにあったようで、庭内には正岡の桜という有名な老桜があったようです。表題の句は、明治28年(1895年)4月2日に28歳の子規が故郷の旧居の桜を想って詠んだ句です。
 正岡子規夏目漱石は旧制一高時代からの親友ですが、共通の友人に清沢満之という人がいます。清沢は、漱石の「吾輩は猫である」と「こころ」のモデルにもなった宗教家です。清沢は子規に以下のような手紙を書いています。
 「清沢満之の子規にあてた手紙;「病床六尺」を読み次の数言を呈する。第一、かかる場合には、天帝または如来とともにあることを信じて安んずべし。第二、信ずることあたわずば、現在の進行に任ぜよ、痛みをして痛ましめよ、大化のなすがままに任ぜよ。天地万物わが前に出没隠現するに任せよ。第三、号泣せよ、煩悶せよ、困頓せよ、而して死に至らんのみ。小生はかって瀕死の境にあり、右第二の工夫により精神の安静を得たり。これ小生の宗教的救済なり。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言2です。
 有谁从小康人家而坠入困顿的么,我以为在这途路中,大概可以看见世人的真面目。
 Yǒu shuí cóng xiǎokāng rénjiā ér zhuì rù kùndùn de me, wǒ yǐwéi zài zhè tú lù zhōng, dàgài kěyǐ kànjiàn shìrén de zhēnmiànmù.
 穏やかな暮らしから困窮の暮らしへ堕ちた者なら、大概は、その過程の中で、世間の人の本当の貌(真面目)を見るだろうと、私は思う。

 昨日の箴言1で、魯迅は「とかくこの世は住みにくい。或る人が、『世事に疎い』というは賞めらられた話ではなく、かといって『世事に長けている』というのも賞められた話ではない」