6月25日、次韻して謝する新茶の絶句かな

 今日は6月25日、日曜日です。仙台の研究会で、日米原子力協力協定と日本のプルトニウム政策に関する国際会議の報告をします。その前段に、八木山動物園へ行き河馬に会ってきます。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言86です。
 倘有人作一部历史,将中国历来教育儿童的方法,用书,作一个明确的记录,给人明白我们的古人以至我们,是怎样的被熏陶下来的,则其功德,当不在禹(虽然他也许不过是一条虫)下。
 Tǎng yǒurén zuò yī bù lìshǐ, jiàng zhōngguó lìlái jiàoyù értóng de fāngfǎ, yòngshū, zuò yīgè míngquè de jìlù, jǐ rén míngbái wǒmen de gǔrén yǐzhì wǒmen, shì zěnyàng de bèi xūntáo xiàlái de, zé qí gōngdé, dāng bùzài yǔ (suīrán tā yěxǔ bùguò shì yītiáo chóng) xià.
 もしも、誰かが歴史を書いて、中国歴代の児童教育の方法、用いた本についての明確な記録をなし、我々の古人から我々までが、どのように薫陶されてきたかを明白にしてくれる人があったならば、その功徳は禹(彼は虫に過ぎなかったかも知れないが)に劣りはしないに違いない。