1月26日、寒垢離で寒声ばかりする僧侶

 今日は1月26日、土曜日です。テニスの大坂なおみ選手が全豪オープンに優勝し、21歳で大金を手にしました。彼女はアメリカ人を父に、日本人を母に持つ、スーパースターとなったことは喜ばしいことだ。日本で生まれたとしても、3歳からアメリカで過ごしているれっきとしたアメリカ人でもある。どうして、「日本人選手がテニスで初めて世界一になった。世界一の日本人選手」とマスコミもファンも日本人であることを強調するのだろうか。テニスだけでなく、サッカーやゴルフ、そして野球にとって国籍がどんな意味をもつのだろうか。僕にはよくわからない。ナオミ・オオサカ選手が実力の世界で、世界一になったのを素直に喜ぶべきで、彼女や彼女を支えたチーム、そして彼女の家族を誉めることがあったにせよ、それが日本人の優位性のように誇らしげにするのはどういうものだろう。
 僕のロスにいる三人の孫のだれかが、なにかでスーパースターになったとして、万が一、「日本の…、日本人の…」といって騒がれたとしても、三人とも当惑するだけだろうと思うからである。

 しゅ‐こう【趣向】‥カウ
 ①おもむきを出すための工夫。また、そのおもむき。太平記一「句の優美遠長なる体製(テイセイ)のみあつて、其の―落着の所を知り難し」。「―を凝(コ)らす」
 ②歌舞伎・浄瑠璃で、背景となる固定した「世界」⑧に対して、作品に新しい変化を与える工夫。
 
 今日の子規歳時は、「小説の趣向つづまらぬ火鉢哉」です。
 僕の今日の川柳は、「寒垢離で寒声ばかりする僧侶」です。

 今日の魯迅箴言は、箴言No26「華蓋集続編・無花的薔薇 Huágài jí xùbiānwú huā de qiángwēi 华盖集续编/无花的蔷薇」です。
 预言者,
  即先觉,

  每为故国所不容,
  也每受同时人的迫害,
  大人物也时常恭这样。
  他要得人们的恭维赞叹时,
  必须死掉,
  或者沉默,
  或者不在面前。
 Yùyán zhě,
 jí xiānjué,
 měi wèi gùguó suǒ bùróng,
  yě měi shòu tóngshí rén de pòhài,
 dàrénwù yě shícháng gōng zhèyàng.
 Tā yào dé rénmen de gōngwéi zàntàn shí,
 bìxū sǐ diào,
 huòzhě chénmò,
 huòzhě bùzài miànqián.
 予言者、 
 すなわち先駆者は、
 いつも故国には容れられないし、
 また、いつも同時代の人からも迫害を受ける。
 大人物も常に同様である。
 彼が人から尊敬や称賛を得るときは、
 必ず死んでしまっているか、
 あるいは沈黙しているか、
 あるいは目の前にいないか、である。