今日は3月30日、土曜日です。今日は県議選の二日目。昨日は選挙カーの随行車でしたが、今日は午後4時から選挙カーの車長をやります。この選挙と7月の参院選で僕の政治活動は終わりにします。あとは文学一筋のつもりです。
今日の子規歳時は、「鶯やいづれば誕生寺」です。
僕の今日の川柳は、「鶯が京都を出でて奈良へ行く」です。
清的康熙,雍正和乾隆三个,
尤其是后两个皇帝,
对于”文艺政策”或说得较大一点的
”文化统制”,却真尽了很大的努力的。
文字狱不过是消极的一方面,
积极的一面,则如钦定四库全书,
于汉人的著作,无不加以取舍,
所取的书,凡有涉及金元之处者,
又大抵加以修改,作为定本。
此外,对于”七经”,”二十四史”,≪通鉴≫,
文士的诗文,和尚的语录,也都不肯放过,
不是鉴定,便是评选,
文苑中实在没有不被蹂躏的处所了。
とくにあとの二人の皇帝は、
「文芸政策」或は、少し大きく言えば、
「文化統制」に対して、実になみなみならぬ努力をはらった。
文字の獄は、消極的な一面に過ぎない。
積極的な面では、たとえば「四庫全書」である。
漢人の著作には、一つとしてこれに取捨を加えてないものはなく、
収録した書物で、およそ金、元に言及している個所には、
たいてい改訂を加えて、底本とした。
この外、「七経」、「二十四史」、「通鑑」、
文士の詩文、僧侶の語録までも、すべて見逃そうとはせず、
鑑定でなければ、評選を行い、
文苑中実に蹂躙されぬところはなかったのである。