3月29日、雨ならん山を焼く火の広がりぬ

 今日は3月29日、金曜日です。昨日は8時から12時まで新町事務所にこもり、どうにか青森市市民活動活性化事業補助金の事業実績報告書を完成させ、8時35分に市民協働推進課に提出することができました。ギリギリセーフです。これで、今年度は137万円余の事業費を確保することができました。
 今日の子規歳時は、「雨ならん山を焼く火の広がりぬ」です。
 僕の今日の川柳は、「雨あがり山を焼く火も湿りがち」です。

 今日の魯迅箴言は、箴言No88「且介亭杂文/买<小学大全记>」です。
  清朝虽然尊崇朱子,
  但止于”尊崇”,
  却不许”学样”,
  因为一学样,就要讲学,
  于是而有学说,于是而有门徒,
  于是而有门户,
  于是而有门户之争,
  这就足为”太平盛世”之累。
  况且以这样的”名儒”而做官,
  便不免以”名臣”自居,
  ”妄自尊大”。`
  清朝朱子を尊崇しはしたが、
 尊崇にとどまって、
 その通りをまねることを許さなかった。。
 何となれば、その通りをまねることになれば、やがて学問を講ずるであろう。
 そこからして、学説がうまれる。そこからにして、門徒がでてくる。
 そこからにして派閥が生まれる。
 そこからにして派閥の争いが起こる。
 これは、「太平の御世」の累いたるに充分である。
 まして、このような「名儒」を官吏とすれば、
 とかく「名臣」をもって自任し、
 「妄りに尊大となり」がちなものだ。