魯迅箴言日記、一籠の蜆にまじる根芹哉(明治26年、1893年)

 今日は4月27日、土曜日です。今日は午前5時過ぎに起き、日課をやりました。遠近両用メガネが22日にどこかに置き忘れたのか、見つかりません。日課の書き込みをするのにすごく不都合です。昼はラーメンとパンを食べ、一応日課の10科に区切りをつけ、午後1時半から市民ホールである「核のゴミはいらない県民の会」の総会に向かいました。総会は11月30日にむけて取り組みを強め、役員を改選して終わりました。3時から4時半まで講演会。5時から弁慶ビルの5階で懇親会。その後、木馬によって、2日の苧麻の予約をして8時半に帰宅。飲み会が続いていたので、9時半に就寝。酒席を控えることにする。自分が情けなくなることが多いので。

 今日の子規歳時は、「一籠の蜆にまじる根芹哉(明治26年1893年)」です。

 蜆も芹も春の季語で、季重なりの句です。

 今日の魯迅箴言は、箴言365-75「実際上、」です。

 实际上,中国人向来就没有争到过人的价格,

    至多不过是奴隶,到现在还如此,

    然而下于奴隶的时候,却是数見不鲜的。

 だが、実際上、中国人は昔から「人間」の価値を勝ちとったことはない。

 たかだか、奴隷にすぎなかった。

 そして今もって奴隷である。

 いや、奴隷以下であったことも、決して珍しくなかった。