6月3日、五女ありて後の男や初幟

 今日は6月3日、月曜日である。妻と次男を残して、私は美濃さんとOBGの会の東北ブロックの会に出かけた。2月に開催される予定が、事務局長のインフルエンザ発症で延期になったものである。美濃さんの体調もあり、私ひとりで行くつもりだったが、どうしても美濃さんの顔を見たいと言うので、無理を承知で一緒に出かけたのだった。本来なら、私も妻の病気もあり出席できないはずだった。9時に家を出て、仙台まで出かけて、どうにか7時に帰宅した。父のように慕ってきた美濃さんと最後の旅をしたのだった。壊れてしまった美濃さんと壊れかかった私のよたよた、よれよれの10時間だった。
 次男は昼にバスで家を出て、丸海のラーメンを食べ、3時の便で戻って行ったということだった。従って、妻は6時間余り、独りで家にいたことになる。そんなに落ち込んではいなかった。明日から糖尿病の教育入院である。生活習慣病の改善なくして手術はできないということだった。金曜日に入院に必要なものを買ってあったので、所在ないまま、早めに眠ることにした。
 標題の句は、子規の明治32年の句で、子規が姉5人の末っ子だったことがわかる。
 今日の魯迅箴言は、箴言140である。
 第一次吃螃蟹的人是很可佩服的,
  不是勇士谁敢去吃它呢?
  螃蟹有人吃,
  蜘蛛一定也有人吃过,
  不过不好吃,
  所以后人不吃了。
  像这种人我们当极端感谢的。
  初めて蟹を食べた人には全く敬服します。
 勇者でなくて、誰がそんなものを敢えて食べるでしょうか?
 蟹を食べた人がいれば、蜘蛛を試した人もいたはずです。
 しかし、不味かったために、後の人は食べなかった。
 このような人たちに大いに感謝すべきでしょう。