8月8日、秋立つとひとり上野の森に対す

 今日は8月8日、木曜日、立秋です。ねぶたが終わり、花火大会とともに青森の夏が終わりました。朝、3時に眼が覚め、起きると雨が降り出しました。静かな雨で、風はまったくありません。玄関脇の洋間に次男が眠っています。妻の手術と術後の看病見舞いで12日まで居てくれることになりました。10日には娘の一家、次男が帰ったあと、14日にはロスから長男が来てくれます。妻は幸せ者です。

 今日の子規歳時は、子規が明治21年の夏休みに向島の桜もち屋月香楼に三か月も滞在したときのことを詠んだ明治29年の句です。このとき、子規にロマンスがあったとのことです。

 今日の魯迅箴言は、箴言203です。
 这并未改革的社会里,
  一切单独的新花样,
  都不过是一块招牌,
  实际上和先前并无两样。
  拿一匹小鸟并在龙中,
  或给站在竿子上,
  地位好像改变了,
  其实还只是一样的在给别人做玩意,
  一饮一啄,
  都听命于别人。
  いまだ改革されない今の社会においては、
 単独の新型模様は、
 おしなべてみな一枚の看板にすぎない。
 実際上、前と全然変わりはないのだ。
 一羽の小鳥を籠のうちに閉じ込めても、
 竿にとまらせても、
 地位は変ったように見えるが、
 じつは、どちらも同じように人の弄び物である。
 一飲一啄、
 ただ他人の命ずるままに動いているのである。