今日は12月24日、木曜日、クリスマスイブです。今日は朝8時に家を出て、青森キュウブの先生方の研究会での出前講座です。社教センターではなく総合学校教育センターが会場でしたが、なんとか開会に間に合いました。青柳事務所での引き継ぎ事務、一艘川柳教室、東奥日報の柳檀・俳壇への投句、GEA事務所の家賃の支払い等をやって、帰宅したのは5時半でした。安倍さんが桜を見る会前夜の懇親会の件で記者会見、3000万円の政治資金報告書不記載の顛末をすべて秘書になすりつけてあくまで嘘をつきとおすようです。反省の色もみえません。
今日の子規歳時は、「風呂吹や蕪村百十八回忌」(明治33年)です。明治33年の蕪村忌は12月23日に繰り上げたようです。記念撮影を38人でしたのに、子規は強風のため加わることができずに、翌24日単独で写したとのことです。
第35条〔住居の不可侵、捜索・押収の要件〕
(1)何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第33条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。
(2)捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行ふ。
今日の魯迅箴言は、箴言365日の第203日目「まだ改革されない今の社会においては、」です。
原文;
这并未改革的社会里,一切单独的新花样,都不过是一块招牌,实际上和先前并无两样。拿一匹小鸟关在笼中,或给站在竿子上,地位好像改变了,其实还只是一样的在给别人做玩意,一饮一啄,都听命于别人。
拼音;
訳文;
まだ改革されぬ今の社会においては、単独の新型模様は、おしなべてみな一枚の看板に過ぎない。実際上、前と全然変わりはないのだ。一羽の小鳥を籠のうちに閉じ込めても、竿にとまらせても、地位は変わったように見えるが、じつは、どちらも同じように人の弄び物であり、一飲一啄、ただ他人の命のままに動いているのである。