魯迅箴言日記 2019/9/22 静かさに礫うちけり秋の水

 今日は9月22日、日曜日です。昨日は、朝6時半に起き、日課をやったあと、日中友好協会の中国帰国者に対する日本語教室が午前中あるので、9時半に幸畑団地まで出かけ、昼に生協で買い物をし、輝代さん手作りのラーメンを2杯食べ、1時間半の昼寝をはさんで小説「三吉と美智」を書き、5時半にGEAの新事務所へ行き、パソコン2台をセットし、プリンターとつながっていることを確認して戻りした。事務所の環境も整いました。6時半に事務所を出て、「とり平」によったら明さんが友だちとおりました。久しぶりに飲むことができました。先に帰った明さんと「今度、二人で飲もう」と約束して別れました。1本焼酎が入り、いつものハツを入れて2,500円でした。これでまた、1週間以上、500円で晩酌ができることになりました。帰宅したときは、7時半になっていました。家、事務所、とり平、家で25分の道のりです。

 夕食は輝代さんに支度してもらった豚スキを食べ、ノンアル500を1本飲みました。8時半に日課の残りの「カバのため息」の論語を書き足して、三たび、小説に向かいました。しかし、引越しなど1週間の疲れがどっと出たのか、あまりの睡魔に耐えられず、9時に布団を敷いて眠らざるを得ませんでした。

 今日は午前1時前に目覚め、日課にとりかかりました。日曜日なので、輝代さんに寄り添いながら、家で仕事をしたいと思います。

 

 今日の子規歳時は、明治28年の自筆の句集「散策集」の中の句です。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言248です。

 驯良之类并不是恶德。

    但发展开去,

    对一切事无不驯良,

    却决不是美德,

    也许简直倒是没出息。

 従順なのは、悪徳ではない。

 しかし、それが嵩じて、

 何にでも従順なのは、

 決して美徳ではなく、

 いわば単に意気地がないだけだ。