魯迅箴言日記 2019/12/20 湯婆燈炉室あたたかに読書哉

 今日は12月20日、昨日は団体職員労働組合の定期総会が川よしであり、川よしの社長から木箱入りの稲村文四郎の大吟醸をもらいました。三甲会の忘年会が浪打銀座の「きっすい」であり、その後、ゆうとぴあで二次会でした。参加者は、山中、宮川、奥崎、山上、武田、それに私の6人でした。タクシーを4回、中央タクシーだけ使いました。支払いはぺいぺいで済ましました。きのうは、病院へ面会のあと、青柳さんの再校を取りにお宅に伺って、再校を受け取り、5時に再校の戻しを西滝郵便局でレターバックライトにして、斎藤さんまで送りました。今朝までのメールでのやり取りでは、北狄390号は27日に出来上がる予定です。斎藤順子さんから、北狄388号を読みたいので欲しいと電話がありました。25日の教室の時にでも渡すつもりです。

 今日は、5時過ぎにSDPの常幹会議、6時半には千成での四人会です。

 

 今日の子規歳時は、明治32年にホトトギスに短期に連載した「病床読書日記」の一日の句です。

 ここで、

たん‐ぽ【湯婆】
(唐音) 中に湯を入れて、腰・脚などをあたためるのに用いる金属製または陶製の器。ゆたんぽ。季・冬

 

 今日の魯迅箴言は、箴言337です。

 自动的读书,

    即嗜好的读书,

    请教别人是大抵无用,

    只好先行泛览,

    然后决择而入于

    自己所爱的较专的一门或几门;

    但以必须和实社会接触,

    使所读的书活起来.

 自主的な読書、

 つまり、嗜好的な読書で、

 人教えてもらっては大抵役に立たない、

 それよりはまず先に広く本を読み、

 それから選定して自分の好きな、

 やや専門的な一科あるいは教科に入って行くということです。

 ただし本ばかり読んでいても弊害はある、だから必ず実社会と接触して、

 読んだ書物を生かすようにしなければなりません。