魯迅箴言日記 2020/05/08 鮒釣や藻の咲く池を見て過る

 今日は5月8日、金曜日です。隣家の主人が亡くなりました。ついこないだまで、愛犬の散歩をしていた人が突然に死んだのです。私の記憶では、4月18日、愛犬の散歩の帰りに会ったのです。いつものダンディーな隣家の主人の後ろ姿が、こころなしか元気なく寂しげに見えたのでした。少し見ないと、ずいぶん老けたのかな、と去年あたりから思っていました。でも、本人より、奥さんの具合を心配していたのでした。そういえば、去年は、山菜やキノコのおすそわけがなかったのでした。昨日、お悔やみに行って、奥さんから、去年、肺がんで2度も手術したことを聞きました。隣に居て、そんなことは全く知りませんでした。私は、去年の5月から輝代さんの病気のことで精いっぱいでしたから。人生にはいろんなことがあるものです。それにしても、毎朝、6時半には散歩に出かけていた隣家の主人が、知らないうちに死んでいるなんて、日常のかけらがごそっと抜け落ちたような感覚が離れないのです。

 

 今日の子規歳時は、「鮒釣や藻の咲く池を見て過る」(明治30年)です。子規の郷里松山の南郊外には池が多かったという話です。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言130の112「人類はお互いに分け隔てることなく、」です。

 (原文)

  人类最好是彼此不隔膜,相关心。

     然而最平正的道路,却只有用文艺来沟通,

     可惜走条道路的人又少得很。

 (拼音)

  Rénlèi zuì hǎo shì bǐcǐ bù gémó, xiāngguān xīn.

  Rán'ér zuì píngzheng de dàolù, què zhǐyǒu yòng wényì lái gōutōng,

  kěxí zǒu tiáo dàolù de rén yòu shǎo dé hěn.

 (訳文)

  人類はお互い分け隔てることなく、関心をもちあうのが最もいい。

  しかもその最も平坦な道は、文芸をもって通じ合うほかないが、

  惜しむらくは、この道を行く人はまた、あまりにも少ない。