魯迅箴言日記 2022/12/31 来年はよき句つくらんとぞ思ふ(明治30年、1897年)

 今日は12月31日、年の暮、大晦日です。今日は一日、日課の残り、未習分をやり、年を越さないつもりで朝から机にかじりついています。5時半に三男一家が年越しにやってきました。その前、4時に金沢生協へ予約してあった「年越し寿司」を取りに行きました。輝代さんが作ったおせち料理に、寿司、すき焼き、紅鮭の焼き物、それに三男持参のから揚げでおなか一杯になり、次男のところから送られてきた雄町米ラガービール2本飲んで、7時にダウンしてしまいました。10時半に起きたときには三男も孫の姿もありませんでした。そんなわけで、11時から元旦の8時まで、新年への想いを胸に、日課の十一課を事初めとしてやりおえたのでした。

 今日の夏井版子規歳時は、「来年はよき句つくらんとぞ思ふ(明治30年、1897年)」です。同じく子規の年の暮の句は、(吟行を旨とする俳人の姿)「うかうかと鴨見て居れば年くるる」、(貧乏を性とする俳人の生きざま)「年の暮財布の底を叩きけり」、(酒を友とする俳人の矜持)「居酒屋に今年も暮れて面白や」、そして「来年はよき句つくらん………」の心をもって俳人は今年の句帳を閉じています。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-88「幼稚は、なんら恥ずべきことではありません」です。

 至于幼稚,尤其没有什么可羞,

    正如孩子对于老人,毫没有什么可羞一样。

    幼稚是会生长,会成熟的,

    只不要衰老,腐败,就好。

 幼稚は、なんら恥ずべきことではありません。

 ちょうど子どもが老人に対して、なんら恥じることがないのと同じです。

 幼稚なら、成長し成熟していくことができます。

 ただ、老いぼれ腐敗しなければ、それでいいのです。