去年嫁いだ娘が3日に里帰りします。旦那は東京で仕事のようです。我が家は七年前に母が亡くなるまで七人家族でした。その後、次男が結婚して独立し、それからニューヨークの長男も一昨年結婚し、そして娘です。次男の一家は一年に一度来れればいいほうですし、長男の嫁と孫は私の家を知りません。いま、家にいるのは三男だけで、我が家は三人家族になってしましました。その三男にしても、結婚すれば家を出て行くことでしょう。そうなれば本当に女房と二人っきりになります。まだ先のこととはいえ、女房と私をつなぐ家族、とりわけ子供たちの存在について何なのか、と考えさせられています。魯迅がいう家族の脊梁(せぼね)とは何か、と考えてもいます。
「我们从古以来,
就有埋头苦干的人,有拼命硬干的人,
有为民请命的人,有舍身求法的人,
・・・ 虽是等于为帝王将相作家谱的所谓{正史},
也往往掩不住他们的光耀,
这就是中国的脊梁。」
これの日本語訳はこうです。
「我々(のまわり)には古くから、
脇目もふらず励む人、懸命にやり通す人、
民のために助けを請う人、捨て身で真理を求める人がいた。
・・・帝王や将軍、宰相の家譜にも等しい、いわゆる『正史』といえど、
往々にして彼らの輝きを覆い隠すことはできなかった。
これこそ、家族の脊梁(せぼね)である。」
つまり、魯迅は、今日の中国があるのは、いわゆる「正史」に残された英雄・皇帝・宰相の家系によるのではなく、多くの脇目もふらずに精励し、民を助け、真理を求めてやまなかった人たちが支えてきたのだと、言っているのです。