「孩子是要别人教的,
毛病是要别人医的,
即使自己是教员或医生。
但做人处世的法子,却恐怕要自己斟酌,
许多别人开来的良方,往往不过是废纸。」
これの日本語訳はこうなります。
「子どもには他人の教えが必要であり、
病気には他人の治療が必要である。
――たとえ、自分が教師や医者であっても。
しかし、人として世を渡ってゆくには、自分で思案し処置するほかないだろう。
他人が示してくれるあれこれの処方箋は、往々にしてただの紙屑にすぎない。」
ここで魯迅は、たとえ自分が教師でも、子どもには他人の教えが必要であり、たとえ自分が医者であっても、病気には他人の治療が必要だと言っています。でも、それだけではだめで、人として世を渡っていくためには、自分で思案し、処置するほかにしようがないことが多くあり、他人の処方箋は往々にしてただの紙屑にすぎない、と。
今日の語句・語彙はこうです。
子ども;孩子 haizi
他人;别人 bieren
教え;教 jiao
病気;毛病 maobing
他人;别人 bieren
治療;医的 yide
自己;自己 ziji
教師;教员 jiaoyuan
医者;医生 yisheng
人として;做人 zuoren
世を渡っていく;处世 chushi
自分;自己 ziji
斟酌;斟酌 zhenzhuo
処方箋;良方 liangfang
往々;往往 wangwang
紙屑;废纸 feizhi