今日の魯迅「阿Q正傳」日記 第3章 続優勝記略 17

  今日は7月29日です。月曜日の今日から、本格的に校正の仕事にとりかからなければなりません。その前に整理しておかなければならないことがあります。ひとつは、NPOの雑誌に投稿する「日本における放射性廃棄物の諸問題」という論文です。一応、仙台の研究会で27日に報告してきたものを下敷きにまとめるつもりですが、まだ内容的に不十分です。一応原稿の締め切りが今月いっぱいなので、一両日中にでかすつもりです。あとは、原水禁広島大会へ参加のための事前準備です。大会そのものではレポート等発言の機会がないので、さほど準備することはないのですが、チケットの手配やら、前後泊のホテルの手配もしなくてはなりません。幸い、3日は岡山の呂謙君の所に泊めてもらうことにしました。6日は伊丹空港のそばのホテルです。一応、すべて準備は整いました。旅費の精算も終えました。問題は、広島でも「本願寺全集」の校正をやらなければならないことです。暑さと校正、この難問をかかえての旅となりそうです。
 
 さて、今日の魯迅阿Q正伝」日記は、第3章続優勝記略の第17段落目です。
 
 17
 阿Qの記憶では、たぶんこれが生まれて初めての屈辱というべきものだったろう。なぜなら、ひげの王は頬にぺったり生えたひげをという欠点のために、今まで阿Qにばかにされたことこそあれ、阿Qをばかにしたことはなかったからだ。まして、手を出すことなどはったはずがない。ところが、彼がいわんや手を出した、なんとも意外である。ほんとうに町の噂のように、皇帝が科挙を廃止して、秀才も挙人も不要になったため、それで趙家の威光もなくなったというのだろうか。そしてそのために、彼のことも軽く見るようになったのだろうか。
 
 在阿Q的记忆上,这大约要算是生平第一件的屈辱,因为王胡以络腮胡子的缺点,向来只被现在竟动手,很意外,难道真如市上所说,皇帝已经停了考,不要秀才和举人了,因此赵家减了威风。因此他们也便小觑了他么?
 
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