今日は第2回「小説を書こう」講座

 中央学院大学の図書館カルチャー講座「小説を書こう」の今日が2回目だ。天候に恵まれて、受講生が集まってくれるのを祈る。
 講師の古川壬生さんのこと、きっとうまくやってくれるはずだ。前回の私の失敗の分を取り戻してくれることを祈る。
 10月の私の講座で、「夜のライオン」と「雄さんの納豆料理」を読みたいという受講生がいた。「人間を書きなさい」と言ったら、「動物じゃ、だめですか」と学生に問われ、「犬捕り万蔵」をプレゼントすることにもした。
 三人に渡す本の準備がてら、手にした本が青森ペンクラブ創立10周年記念に刊行した『草々の風』だ。その中に、私の「夜のライオン」も収録されている。
 これは平成11年(1999年)1月5日に東奥日報新春短編小説として掲載されたものだ。原稿用紙で12枚ほどの小品である。
 「その夜、二十歳になったばかりの僕はベッドの中で突然の轟音に目が覚めた」ではじまり、「夜のライオンは僕に理性的に生きることを教え、僕はライオンとなって吠え続ける」と結んでいる。
 いま、読み返してみて、恥ずかしくなる作品だ。もとより私の技量の問題なのだが、そもそも平成9年12月5日発行の「北狄」301号に掲載した45枚の小説を12枚に縮めたのが失敗だった。
 北狄301号の「夜のライオン」を読み返してみて、14年前にそれまでの思いを込めて書いたのだけはわかる。40歳の自分が20歳のころを一頭のライオンの咆哮をもとに書いた作品だ。あのころは書きたいことはたくさんあった。何も考えずに書いてきた。その点、同人誌はいい。どんなに下手くそであっても、自分で掲載分を負担すればいいからだ。合評会での批評こそ耐えればいいのだから。
 「夜のライオン」に始まって、北狄だけで53作も書いてきたことになる。これこそ、私の歴史に違いはない。
 そんなことで、私はこれからも新しい歴史を刻むために、まだまだ小説を書き続けるつもりだ。