孔子の「無為治者舜也」

論語」の衛礼公15の第4章に次の句がある。
「15-04 子曰。無爲而治者。其舜也與。夫何爲哉。恭己正南面而已矣。」
 これの書き下し文は以下の通り。
「子(し)曰(いわ)く、為(な)す無(な)くして治(おさ)むる者(もの)は、其(そ)れ舜なるか。夫(そ)れ何をか為(な)すや。己(おのれ)を恭(うやうや)しくして、南面を正(ただ)すのみ。」
 これは、明らかに老子の「無為自然」を意識して逆に批判しているともとれる。
 宇野哲人の通訳によれば、この章の意味は「古くから帝王は多いが、自ら手を下すことなくて天下がおおいに治まったのは舜である。いったい舜は何をしていたのか。ただ己の身を恭敬して、正しく南面するのを見ていただけである」という。
 ここで、「舜は中国古代の神話に出てくる帝王で、堯のあとを継いで、多くの賢臣を得て、これを衆職に任じたために、最も自ら手を下した迹が見えないのだ」と朱子は言っているようだ。
 「無為にして治まる」とは、為すことがなくても天下がその徳に化して太平になることだと、宇野は解釈している。
 また、「己を恭しくす」とは、「己を修めてもって敬する」意とされる。南面とは、君子の位のことで、天子や諸侯が政治を執り行う位置は南面のこととされた。
 春秋時代の諸国乱世の時代の孔子にとって、老子のいう無為の治、や無為自然は理想でこそあれ、現実的には無理と考えていたのであろう。