斉の景公、孔子の仕官を断る

論語」の微子18篇に次の章があります。
 「18-03 齊景公待孔子曰。若季氏。則吾不能。以季孟之間待之。曰。吾老矣。不能用也。孔子行。」
 これの読み下し文は次の通りです。
 「斉(せい)の景公(けいこう)、孔子を待つに曰く、季氏(きし)のごとくするは、われよくせず。季(き)・孟(もう)の間(かん)をもってこれを待たん。曰く、われ老いたり。用(もち)うるあたわざるなり、と。孔子行(さ)る。」
 金谷訳ではこうなります。
 「斉の景公が孔子を待遇するについて、『(魯の上卿である)李氏のようには、できないが、李氏と(下卿の)孟氏との中間ぐらいで待遇しよう。』といったが、(やがてまた)『わたしも年をとった。用いることはできない。』といった。孔子は(斉から)旅立たれた。」
 孔子は魯の曲阜を出て、仕官を求めて斉に行き、大夫の高昭子のもとで斉の景公の返事を待っていたが、結局、仕官の道を閉ざされ、斉を去るところの件であります。