文章修行のつれづれ

 私は日本語の文章を鍛えるためにどうして研鑚をつめばいいのか、もがき苦しんでいます。かといって、それ自体はさほど苦にしていません。なぜなら、もの(小説)を書いて完成させたときの何ともいえない達成感にひたれるというたまらない喜びを知っているからです。
 図書新聞(第3059号)では、「文章は達意な人だ」と褒められましたが、二十五歳まで理工系の研究所にいて学生をしていたことと、四十八歳まで文芸とは関係のない仕事に明け暮れていたことから、文学的な想像力や閃きには乏しいし、ましてや小説の文章などまだまだ小学生並みの実力しかないと思っています。
 日本語なり、日本語の文法、語彙、表現、会話などについて本当に向き合ったのは、中国の東北師範大学人文学院の日本語科で四年制の日本語専攻の学生に週十コマ(一コマ一時間半)も日本語を教えるはめになった四カ月間でした。キャンパス内にある外国人教師宿舎に閉じこもって、生まれて初めて邪念と雑務から解放されて、日本語と格闘したのでした。しかし、その成果はあがっているとは思えません。
 帰国して一年余が経ち、改めて日本語の難しさがわかってきました。また、中国での四カ月余の教訓を風化させないためにも、漢字の意味をあらためて問いなおすため中国と日本の古典に学びながら、初歩からやり直す以外にないと思いいたりました。すると、いままで無視してきた、傍観してきた、言葉や自然、そして生き物、動物、最後に人間までが、その存在とともに見るもの、聞くもの、すべてが新しく思えてくるのです。その不思議な感覚が私をとらえて続けています。
 その意味では、私に新たな感動の泉を湧かせている源の二つは、孔子論語であり、魯迅の文章でした。両者をすべて信奉するというものではありませんが、なにか文章を紡ぐうえでの糸口とでもいうのか、思念を文章化する上での基礎を教わっているような気がするのです。
 約三カ月かけて、竹川弘太郎さんの「孔子-漂泊の哲人」のお手伝いをさせてもらったことが、もの書きとしての手ほどきを受けた気がするのと、その過程の中ですこしは開眼できたのだと思います。
 その意味で、北狄の中で作品を発表しつづける上で基本となるものの考えかたの修行のつもりで「論語」と魯迅をとりあえず読み続けたい思っています。