衛の南子の女難

吉川幸次郎「中国の知恵」の(p64)には、つぎの一節があります。
「―めぶたの種とりがすんだのなら
  おいぼれおぶたは帰すがよい
 めぶたとは蒯聵(衛の国の太子)の母(南子)の王妃をさし、おぶたとは母の情人の宋朝をさすごとく聞こえた。また、歌は蒯聵自身の出生についての秘密を語るようでもあった」
 このように孔子が53歳で魯の国を出て、最初に仕官先を求めた衛の国は、南子という王妃に惑わされた霊公は孔子を重用することはなかった。