もの書きとして、生きることの覚悟

 私は今度の北狄(359号)に載せる小説「エレファント・イアーを飲もう」で、団塊世代のひとりの、ひどい近眼で、小学時代に山と海にトラウマをいだいたことにより、自分の家、自分の街を離れられなくなった男のことを書いた。その男は、大学を卒業後、わずかに3年間だけ、一時的に就職をして家を離れただけで、それ以外は48歳になった平成10年まで、ふるさとの街で生き続けてきた、そのこだわりの軌跡を淡々と書いたつもりである。
 たくさんの同級生たちに囲まれて、ごく親しい友人との交流がふるさとの街でしずかに生きることの意味を、私なりに書いてみた。設定もいつもの私小説的なものから、すこし変えてみた。
 場所も地名も創作した。読者の判断にゆだねることにした。63枚から64枚の小説となった。
 「エレファント・イアーを飲もう」は昨年秋からの、「城ヶ倉大橋」(北狄357号)、「さよなら夜のライオン」(遙54号)、「女房の家出」(遙55号)、「北の螢に魅せられて」(北狄358号)、「ペルガモンの鞄を捨てるな」(遙56号)に続く、6作目の作品である。
 今日初校を終えて、編集長に手渡したので、あと2校もやったとしても、二週間もすれば、20日前後には北狄359号が刷り上がってくるであろう。出来栄えが楽しみである。
 今月の中ごろには、遙56号も刷り上がってくると思う。実は、「ペルガモンの鞄を捨てるな」の方もずいぶん苦労して書いた。
 そんなわけで、あとは同人誌を手に取ってみて、実際に雑誌を読んだ時の感慨にひたれるかどうかだ。
 明日からは「ねぶた師平蔵」に集中する。佐々木英明と古川壬生から昨日言われた。とにかく、渾身の力をこめて書いてみろ、と。組織やしがらみを捨て、遠慮会釈なく、がむしゃらに個人に徹しろ、と。抜き差しならない、土壇場に立たされ、生死をかけた修羅場にいるつもりで、世界的な視野で圧倒的な勢いで書きまくれ、と。夕方、北狄の編集長に初校を渡し、その帰りに浜町教会を眺め、ねぶた小屋を回った。
 そんなわけで、今日のいまのいまから、「ねぶた師平蔵」に専念することにした。賞にこだわることなく、一心不乱に「ねぶた師平蔵」にとことん集中する。こんなことは私の人生でこれまでになかったことだ。