今日の論語一日一章「用之則行、舎之則蔵」

今日は7月16日連休明けの火曜日です。昨夜から今朝にかけて、おかじょうき無人駅の川柳5句と日本経済のアベノミクス批判の論文の感想を書き、メールの返事をいくつか書いて、もう昼近くになりました。天気はまさに快晴、路地の紫陽花も真っ青に色づいて満開となりました。

 さて、今日の論語一日一章は第7篇「述而第七」の第10章「用之則行、舎之則蔵」(之を用ふれば則ち行ひ、之を舎つれば則ち蔵る)です。
 この章の原文はこうです。
 「子謂顔淵曰、用之則行、舎之則藏。惟我與爾有是夫。子路曰、子行三軍則誰與。子曰、暴虎馮河、死而無悔者、吾不與也。必也臨事而懼、好謀而成者也。」
 また、読み下し文はこうなります。
 「子顔淵に謂って曰はく、『之を用ふれば則ち行ひ、之を舎(す)つれば則ち蔵(かく)る。惟我と爾と是あるか。』子路曰はく、『子三軍を行らば則ち誰と与(とも)にする。』子曰はく、『暴虎馮河、死して悔いなき者は、吾ともにせざるなり。必ずや事に臨んで懼れ、謀を好んで成さん者なり。』」
 ここで、中国語簡体表記はこうです。
 「子谓颜渊曰“用之则行,舍之则蔵。惟我与尔有是夫。子路曰,子行三军则谁与。子曰,暴虎冯河,死而无悔者,吾不与也。必也临事而懼,好谋而成者也。
Zi wèi yán yuān yuē, yòng zhī zéxíng, she zhī zé cáng. Wéi wǒ yǔ ěr yǒu shì fu. Zilù yuē, zi xíng sānjūn zé shuí yǔ. Zǐ yuē, bàohǔpínghé, sǐ ér wú huǐ zhě, wú bù yǔ yě. Bì yě lín shì ér jù, hào móu ér chéng zhě yě。」
 さらに、日本語訳はこうなります。
 「孔子がある時顔淵に向かって、『世の人君が我を用いれば出でて道を行い、世の人君が我を舎(す)てて用いなければ退いて蔵(かく)れ、出でて道を行うのも退いて蔵れるのも、ただ時の宜しきに従って、少しも心に拘(かか)わることのないのは、ただわしとおまえだけであろう。』と曰われた。孔子が独り顔淵をほめたのを見て、子路は己の勇を自負して、『先生が大国の軍隊を指揮して戦争をされる時はだれとご一緒になさいますか。』と曰って、『おまえと一緒にやる』という答えを豫期していたのに、孔子の答えは案に相違して『虎を徒搏(てうち)にしたり、河を徒渉(からわたり)したりするような向う見ずなことをして、死んでも後悔しない者とはわしは一緒にやらない。わしが一緒にやるのは、必ず事に当って敬(つつ)しみ懼れ、また謀(はかりごと)を好んでこれを成し遂げる者でなければならぬ。』と曰われた。」
 この章の語句・語彙の解説はこうです。
 之を用ふれば、之を舎つれば;ここでは、「之」は「我」の字に解します。
 是あるか;ここでの是は、前の「之を用ふれば則ち行ひ、之を舎つれば則ち蔵る」の二句のことをさしています。
 行(や)る;軍隊を用いて戦争をするの意です。
 三軍;一軍は1万2千5百人であるので、3万7千5百人の大軍になります。大国には三軍あるといわれています。
 暴虎;武器なしで虎に向かうことです。
 馮河;舟無しで大河を渡ることです。
 懼る;軽々しく見ることなく重大な事件として敬しみ懼れることの意味です。
 成す;その謀を成すことを意味しています。
 この章は、前段は顔淵が行うも蔵るるも時を失わぬことをほめ、後段は子路を戒めて道理に合した勇に進むようにしたのです。
 顔淵は聖人に近いから、孔子のように、行うも蔵るるも時の宜しきに従うのである。暴虎馮河以下では子路の勇を抑えてこれを教えたものですが、軍隊を用いる要道もこの外には無いのを子路は知らなかったためなのです。(尹焞及び朱子の説に由る)