今日の論語一日一章「三人行、必有我師焉」

 今日は7月27日土曜日です。昨日は昼に「川よし」で今月二度目の鰻でした。そういえば、北の街の8月号の「今月のエッセー」に「ラーメンと寿司、そして鰻」を書いたのを思い出したからでした。そう言えば、ちょっと気になっていることがあります。「川よし」で見かけるのは、ひとりで鰻を食べにくる五十代後半から六十代の女性がいることです。家族連れや職場の仲間連れや商用その他、男女二人連れのほかに、団体客もいるなかで、普段着のままの服装で、ちょいと買い物ついでに思い出したように「川よし」の暖簾をくぐる女性、普通の人なだけに気になります。二千六百円のうな重にこめたドラマがあると思います。
 
 さて、今日の論語一日一章は第7篇「述而第七」の第21章「三人行、必有我師焉」(三人行へば必ず我が師あり)です。
 これの原文はこうです。
 「子曰、三人行、必有我師焉。擇其善者而從之。其不善者而改之。」
 読み下し文はこうなります。
 「子曰はく、三人行へば必ず我が師あり。其の善なる者を択んで之に従ひ、其の不善なる者は之を改む。」
 中国語簡体表記はこうです。
 「子曰,三人行,必有我师焉。择其善者而从之。其不善者而改之。
  Zǐ yuē, sān rénxíng, bì yǒu wǒ shī yān. Zé qí shàn zhě ér cóng zhī. Qí bùshàn zhě ér gǎi zhī。」
 これの日本語訳はこうなります。
 「孔子が曰はれた。我と他の二人の三人で一緒に事を行えば、必ずすこに我が師として善を勧め、不善を戒めるものがある。すなわち、他の二人の者の一人の行うことが善であり、一人の行うことが悪ならば、我はその善なるものを択び取ってこれに従い、その悪なる者は我が身に反省して(自分もそうなのではないかと懼れて)これを改めれば、この二人の者はみな我が師である。師について教えを受ける時にばかり師があるのではない、と。」
 この章の語句・語彙の解説はこうです。
 三人;ここでは、この中に己が入っているのです。
 行う;ここでは、同じく事を行うことをいっています。
 この章は、反省して自ら収容することを述べています。
 尹焞(いんじゅん)の説によればこうです。
 「賢を見ては斉しからんことを思ひ、不賢を見ては内に自ら省みる」(里仁篇第17章)のようにすれば、善も悪もみな我が師である。善に進むことは窮りないのである、と言っています。