4月17日、朝一番の便で帰りました

 4月17日、朝6時に携帯電話の目覚ましをセットしてあったために、その予鈴が5時45分にあり、それで目覚めました。予定では、6時半の地下鉄都営新宿線の電車に乗らないと、羽田発の第一便(8時発)に搭乗のためのチェックインを余裕をもってできないためです。顔も洗わず、着替えだけをして部屋をでました。いくら便利のいい場所のホテルとはいえ、105号室の部屋は狭いし、トイレとシャワー室が共用とあってそれで6700円とはちと高いように感じました。
 10時に家に到着し、風呂へ入り、食事をとったあと、小雨の中、自転車で青森ペンクラブの会計監査をしに北の街社へ行き、監査を終えてから青柳の事務所で朝日新聞を読み、そのあと、今村事務所へ寄り知事選の打合せをして、1時40分に新町の事務所へ出局しました。

 今日の子規歳時は、
 春の夜や寄席の崩れの人通り (1895年、明治28年4月17日)
 明治18、9年ころ子規は友人らとさかんに寄席通いをやっていたようです。落語・講談・女義太夫から音局・娘手踊りまであまりにたびたびで、四・五銭の木戸銭にも困り、友人に借りたり着物の入れ替えまでして入れあげていたようです。

 今日の魯迅箴言は、箴言45です。
 大众虽然智识没有读书人的高,
 但他们对于胡说的人们,
 却有一个謚法,绣花枕头,
 这意义,也许只有乡下人能憧的了,
 因为穷人塞在枕头里面的,不是鸭绒,是稻草。
 Dàzhòng suīrán zhì shí méiyǒu dúshūrén de gāo,
 dàn tāmen duìyú húshuō de rénmen,
 què yǒu yīgè shì fǎ, xiùhuā zhěntou,
 zhè yìyì, yěxǔ zhǐyǒu xiāngxià rén néng chōng dele,
 yīnwèi qióngrén sāi zài zhěntou lǐmiàn de, bùshì yāróng, shì dàocǎo.
「大衆は、読書人ほど高い知識をもたない。しかし、出まかせを言う輩には、謚をささげる術をもっている。いわく、刺繍の枕だ。この意味はおそらく田舎者にしかわかるまい。貧乏人が枕に詰めるのは、鴨の羽毛ではなく、稲の藁なのだ。」